る迄は倦《う》まず撓《たわ》まず努力《つと》めるばかりでなく、また其を読者の前に突着けて、右からも左からも説明《ときあか》して、呑込めないと思ふことは何度繰返しても、読者の腹《おなか》の中に置かなければ承知しないといふ遣方《やりかた》であつた。尤《もつと》も蓮太郎のは哲学とか経済とかの方面から左様《さう》いふ問題《ことがら》を取扱はないで、寧《むし》ろ心理の研究に基礎《どだい》を置いた。文章はたゞ岩石を並べたやうに思想を並べたもので、露骨《むきだし》なところに反つて人を動かす力があつたのである。
 しかし丑松が蓮太郎の書いたものを愛読するのは唯|其丈《それだけ》の理由からでは無い。新しい思想家でもあり戦士でもある猪子蓮太郎といふ人物が穢多の中から産れたといふ事実は、丑松の心に深い感動を与へたので――まあ、丑松の積りでは、隠《ひそか》に先輩として慕つて居るのである。同じ人間であり乍ら、自分等ばかり其様《そんな》に軽蔑《けいべつ》される道理が無い、といふ烈しい意気込を持つやうになつたのも、実はこの先輩の感化であつた。斯ういふ訳から、蓮太郎の著述といへば必ず買つて読む。雑誌に名が出る、必ず目
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