―それに敗《ひけ》を取るまいといふ丑松の意気が、何となく斯様《こん》な遊戯の中にも顕《あら》はれるやうで、『敗《まけ》るな、敗けるな』と弱い仙太を激※[#「厂+萬」、第3水準1−14−84]《はげ》ますのであつた。丑松は撃手《サアブ》。最後の球を打つ為に、外廓《そとぐるわ》の線の一角に立つた。『さあ、来い』と言はぬばかりの身構へして、窺《うかゞ》ひ澄まして居る文平を目がけて、打込んだ球はかすかに網に触れた。『触《タッチ》』と銀之助の一声。丑松は二度目の球を試みた。力あまつて線を越えた。ああ、『落《フオウル》』だ。丑松も今は怒気を含んで、満身の力を右の腕に籠め乍ら、勝つも負けるも運は是球一つにあると、打込む勢は獅子奮進。青年の時代に克《よ》くある一種の迷想から、丁度一生の運命を一時の戯《たはむれ》に占ふやうに見える。『内《イン》』と受けた文平もさるもの。故意《わざ》と丑松の方角を避けて、うろ/\する仙太の虚《すき》を衝《つ》いた。烈しい日の光は真正面《まとも》に射して、飛んで来る球のかたちすら仙太の目には見えなかつたのである。
『勝負有《ゲエム》。』
 と人々は一音に叫んだ。仙太の手から
前へ 次へ
全486ページ中110ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
島崎 藤村 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング