田舍へ行くやうに何の造作もなく太平洋上を行き交ふことになるだらうとも言はれる。
 大空を飛ぶ人工の翼こそは、まことに現代を象徴するものの一つであらう。佛蘭西近代の畫家として知られたシャ※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]ンヌは普佛戰爭當時の記念として巴里籠城の圖を作り、遠景の空に浮び上る輕氣球を描き、その前景には一羽の鳩を持つ婦人を描いて佛蘭西人が平和を待つ心をあらはした。シャ※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]ンヌの筆によつて描き出された清げに美しい婦人の眸《ひとみ》は、さながら救ひを望むもののやうに遠い輕氣球の方角にそゝがれてゐる。これが今日のことにして見たら、あの輕氣球も新鋭な航空機に置き替へられなければなるまい。
 しかし、この現代に生きるものに取つて忘れてならないやうな好い教訓を與へた人がある。それは先年、太平洋横斷の冒險に成功した亞米利加の飛行家だ。飛行家ほど自然の征服者のやうに見えるものもないが、その實、高く飛ぶことによつて、より大きな自然の懷裡《ふところ》に飛び込むことを身をもつて證據立てたのも、あの亞米利加人であつた。高く飛ぶことを知るものは、風の力に身を任せることをも知つてゐるのだ。あの飛行家が他の飛行を試みるものに殘したといふ言葉は、おそらくあらゆる技藝の祕訣もそこにあららうと思はれるもので、わたしは新聞紙上にその消息の傳へてあつたのを讀み、今だに忘れがたく思つてゐる。その言葉、
『なるべく高く飛べ。そして又、なるべく眞ツ直ぐに飛べ。』

     歴史と傳説と實相

 歴史と傳説とは曾てごく雜然とわたしの内に同棲してゐたやうなものであつた。この二つの區別に氣づくと氣づかないとでは、いろ/\な過去の物語を讀んで見る上にも、文學制作の方法の上にも、あるひは文學以外の藝術を識別する上にも、格段な差があるのに、長いことわたしはそんな區別を考へて見ようともしなかつた。
 しかし、一度そこへ氣づいて見ると、これまで遠山の花でも望むやうにごく漠然としか看てゐなかつたあの『雨月物語』や『春雨物語』の作者が日本の文學史上にある位置なぞもはつきりして來たし、『白峯』、『淺茅が宿』、『蛇性の婬』、乃至『目一つの神』なぞに見るやうな特殊な文體の生れたこともわかつて來たし、傳説を傳説として取り扱つた上田秋成には元祿の作者にもない別の高さのあることもはつきりして來た。前に新井白石のやうな人があり、同時代には本居宣長のやうな人のある徳川天明期に、あゝいふ特色のある物語の作られたのも偶然ではないことをも知つて來た。
 これを舊い歌舞伎の世界に思ひくらべても、謠曲から來たものが多く傳説を取り扱ひ、淨瑠璃から來たものの一面が歴史を取り扱つてあるといふ風に考へて見ることは、やがて歌舞伎の中幕物と一番目物との本質を知る上に解を得ることが多い。そして中幕物と一番目物とは種々の技法を異にするばかりでなく、それを助くる音曲までを異にし、前者が舞臺の上で用ゐらるゝのは常磐津《ときはづ》、清元、長唄の曲であるのに引きかへ、後者では義太夫の曲であるやうな、さういふ相違のあることもはつきりして來る。傳説を傳説として好く取り扱つたものは、歌舞伎の世界にして見ても動かせないやうな氣がする。『羽衣』、『茨木』の類は、今見てもそれ/″\おもしろいばかりでなく、おそらく後世の人の眼をもよろこばすであらう。『鳴神』、『鏡獅子』、それから『道成寺』なぞもさうだ。『勸進帳』を直ちに傳説とは言へないまでも、すくなくもそこにあらはれて來るのは多分に傳説化された人物である。『暫』となるとやゝ趣を異にして、その勢力は當時の京都を凌がうとする江戸人の笑をあらはした漫畫に近いやうな氣もするが、あれとても舞臺の上の表現は多分に傳説的だ。ともかくも、それらに共通な誇張や、グロテスクな隈取りや、濃厚な色彩なぞは、傳説を取り扱ふ上にのみ許されていゝやうなもので、そこに歌舞伎の一面の味がある。歴史を取り扱つたものは、さうは行かない。それほどの誇張と濃い色彩とは歴史には許されない。ところが傳説と歴史とは兎角混同され易いために、どつちつかずのやうな時代物もある譯で、時を經るにしたがつて色も褪せ、種々な物足らなさも起つて來てゐると思ふ。歴史には歴史の取り扱ひ方があつていゝ筈だ。今になつて想像すると、故人九代目團十郎はそこに氣がついた人であつたかして、所謂活歴なるものを創始しようと試みた。その趣意は活きた歴史を舞臺の上に取り扱はうとするところにあつたらしいが、作者にその人を得なかつたためか、折角のおもしろい試みも目的を達しないで世人の嘲笑の裡に葬られたやうである。いかに故實をよくしらべ、考證の行屆いたやり方でも、たゞそれだけでは歴史は活き返つて來なかつたとも言はれよう。それにしても失敗を恐れなかつたところにあの故人の面目は躍如としてゐた。
 こんなことをこゝに書きつけて見るのも他ではない。わたしは『夜明け前』のやうなものを書いて見てゐる間に、だん/\作の意圖を深めて行くにつれて、歴史と傳説と實相とはどうしてもその取扱ひの方法を異にしなければならないことを感じて來たからであつた。
 ことしの正月、わたしは長い仕事をすました後の輕々とした心地で、久しぶりに改造社版フロオベル全集の譯本をあけて見た。フロオベル晩年の『三つの小さな物語』がそこにある。『ジュリアン聖人傳』は鈴木信太郎氏の譯、『エロディヤス』は辰野隆氏の譯、『純な心』はまた吉江喬松君の譯である。第一の物語は傳説、第二の物語は歴史、第三の物語は實相で、この三つの區別をフロオベルは三通りの樣式に書き分けてゐる。『ボ※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]リイ夫人』のやうな作品を書き、更に『サランボオ』のやうな作品で過去を掘り起して見た作者なればこそ、その境地にも到り得たかと考へられる。殊に傳説を取り扱つたものは、その一節一句が殆んど寶石の光を放つとも言ひたいもので、よく讀んで見ればそれは隨分思ひ切つた誇張や濃い色彩が精しい觀察に結びついて來てゐることも分る。さすがに歴史を取り扱つたものの方にはそんな筆づかひはしてないが、さうかと言つて實相を書いたもののやうにこまかくは入つてゐないし、會話もすくない。日頃自分の考へてゐたことを明かに三種の文體に書き分けて見せて呉れたフロオベルのやうな先人もあつたと想ひ見た時はうれしかつた。尤もこれは物語の技法と文章文體の上の話で、それを充たして行く作者の内の生命のことではない。そんなら、歴史と傳説とはどうしたら活き返つて來るかといふことになると、それはまた別問題だ。單なる過去は歴史でも傳説でもないからである。

     牧野信一君の『文學的自敍傳』

 牧野信一君の『文學的自敍傳』はおもに少年時代を敍したもので、これから大人の世界に入つて見たことを書きはじめようといふところで筆が止めてある。止めてあるといふよりは、むしろそこで筆が進まなくなつて、自然に止まつてしまつたといふ趣のものだ。文學的な自敍傳としてはそんな端緒に過ぎないやうなものであるが、自然と文學へ赴くより他に結局道もなかつたかの感を抱かせ、一作家の生ひ立を思はせるには十分なほどに出來るだけの壓縮もその筆に加へてあつて、少年時代のどの一片をとりあげても、いづれも意味深く語つてある。その中に、君は小學でも中學でも凡ゆる學科のうちで綴り方と作文が何より不得手で、幾度も零點を取り、旅先などから母親に宛てる手紙も書きにくかつたといふ一節がある。君はそれに續けて次のやうに書いてゐる。
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『母は私のハガキでも、私が戻るとそれを目の前に突きつけて、凡ゆる誤字文法を指摘した。第一文章が恰《まる》で成つて居らず、加《おま》けに無禮な調子であると訂正されるうちに、作文でも手紙でも私は、眞に考へたことや感じたことを、そのまゝ書くべきものではなく、さういふことを餘程|六ヶ敷《むづかし》い言葉を用ひて書くべきだ、さういふ窮屈を忍んで、決りきつたやうな眞面目さうな、嚴《いかめ》しさうな、そして思ひもよらぬ大袈裟な美しさうな言葉を連ねなければならぬのかと考へると、文字が亦、これがまた言語道斷といふ程拙劣であつて私は途方に暮れた。親戚などに父の代理として時候見舞などを書かされる場合に、母が傍で視張つてゐるのであるが、私には何うしても、末筆ながら御一同樣へも何卒宜しく御鳳聲の程を――などとは書けぬのであつた。』
とある。
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 眞に考へたことや感じたことは、どうしてそのまゝ書くべきものではないかの疑問が、早くも牧野少年の胸に宿つたのであらう。君自身の語るところによると、君は結婚以前に三度もの戀愛を經驗したが、手紙はまるで駄目で、どんな類ひの手紙を相手の娘から貰つても容易にそれに匹敵するやうなことが書けず、それでも夢中になつて書くには書いたが讀み返すと、いつも全身が砥石にかゝつたやうな堪らぬ冷汗にすり減つたといふ。さういふ情人を見る時の君はまた、つい默り勝ちで、思はず欠伸《あくび》をするやうなことになつたり、眞面目なことを言はなければならない場合にも、つい空呆《そらとぼ》けて横を向いたりするやうな始末であつて、そのために君の求めるものは酬いられず、皆失戀に終つたとも語つてある。
[#ここから1字下げ]
『どんなに熱烈に思つてゐても、四角張つた特に拙い漢字で、戀しき君よ……などとは書けず、また徹底的に眞面目さうな表情で、屹度結婚しようネ――などとさゝやいて、手などは握れなかつた。私は、あのアメリカの娘(中學を終る頃にさかんに手紙のやりとりをしたアメリカ人の娘)に示した態度や言葉の十分の一でも、この敬ふべき郷土の言葉をもつて驅使成し得るならば、と悲嘆に暮れた。思へば思ふほど、われ/\の言葉や文字は、尊嚴に過ぎて、到底犯し得ぬ貴重なものに變つた。』
[#ここで字下げ終わり]
 新時代の作家として牧野君が出發はこゝに萌《きざ》してゐる。君はその言葉や文字の『尊嚴』や、到底犯し得ぬ『貴重』やを打ち碎くだけの才能と勇氣とをめぐまれた。あれほど少年時代に、あらゆる學科のうちで綴り方と作文が何より不得手で、母親に宛てる手紙すら思ふやうには書けなかつたと言ふ君が、その意味を悟る時を迎へるのだと思はれる。さてこそ、君が藝術には感情の解放ともいふべきものが強く働いてゐて、その特色が君の作の字々句々の上にあらはれ、わたしたちの心をひかれるのも主としてその點にある。あの雜誌『十三人』に載つた短篇『爪』などは君の學生時代の作ださうだが、君は戸外に飛び出し、君が手と足とを持つてゐることを、初めて感じたと言つてもいゝほどのものであつた。
 不思議な縁故から、わたしは牧野君を引き出す役割をつとめたやうなものゝ、あの『十三人』時代の君は早晩頭角をあらはすべき人で、わたしはたゞ割合に早く君を見つけたといふに過ぎない。君の自敍傳によると、君は自身を裸島へ泳ぎついた漂流者に譬へてゐる。この漂流者は日々の營みを怠らずあちこちと移り住んだが、わづかな風にさへその打ち建てた小屋は忽ち吹き飛んで未だに家を成さないとも言つてゐる。それを君は運命的であると考へるやうになつて行つた人のやうでもあるし、またそんな昨日の自己を絶對の姿とは考へたくないと言ふ人ででもあつた。君はいつも自身の文章を讀み返すと、凡ての過去そのものの如く、いつそ自烈《じれ》つたいといふ氣を起した。君は一切の過去を棄却しなければならないとした。容易ならぬ人間の脱皮だ。それには身をもつて當らねばならない。君はその邊の深い消息を僅かに『文學的自敍傳』の終の方に泄らして置いて、それぎり歸つて來ない人のやうになつてしまつた。
 何としても君の最後は傷ましい。筆執り物書くものに取つてはひとごととも思はれない。わたしのやうにして君の出發を迎へたものが、今また君を惜しむ諸君の仲間入りをして、こんな記念をこゝに書きつけるといふことは、これも何かの縁かと思ふ。生前の君が泳ぎついたその裸島にゐて、絶望と陶醉との底から身をも心をも起さうと
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