したといふことは、どんな新しい文學を豫感しての結果であつたか、それは推しはかれるかぎりでもないが、君が殘したかず/\の新鮮な作品と、この世に盡し得なかつた抱懷とは、わたしなぞのやうに長く文章に從事するものの垢を洗つて呉れるであらう。短篇集『酒盜人』、『鬼涙村』の二卷は、折を得て更によく讀みかへして見たい。

     好き距離
[#天から10字下げ](岡崎義惠君が新著『日本文藝學』の出版をよろこびて)

 蜘蛛といふものは、みづからの細い糸に身を托し、風の來るのを待つて、物と物との間をつなぐ好き距離を見つける。學者が古典探求の態度はまさにかくのごときものであらうか。日本の文藝も最近には學としてその方法と體系とを探し求めようとする岡崎義惠君のやうな熱心な學者がまとまつた研究を發表するところまで進んで來た。同君が長い年月をかけて見究めようとしてゐる物のあはれ、それから有心と幽玄の考察なぞは、中世時代の文藝から近代のそれへかけての間をつなぐ好き距離とも言つて見たいもので、近頃有益な文字であつたと思ふ。

     日本海と太平洋

 過去の日本人が日本海であるとするなら、現代の日本人は太平洋であると言つてもよからうか。太平洋に就いて想ひ當るのは、最近讀んだものの中に見つけたブランデスの言葉だ。ブランデスは太平洋が地球の諸海洋に伍し占めてゐる地位に比《たぐ》へて、實に心にくいことを言つてゐる。『太平洋、則ち靜かなる大洋は、最大にして同時に最深の海洋である。併し實際に靜かなのは、唯その帶状の一部分に過ぎない。太平洋の北部と南部は、樣々の氣流や貿易風のために、絶間なく波濤を擧げてゐる。幾多の海潮、それの逆潮、暖流、寒流が流れ巡つてゐる。太平洋には、また他の海洋には無い地震の波動がある』とこんなことが言つてあるのだ。われらは東西の文化を包容し得る最も惠まれた位置にあつて、過去に蓄積したものだけでも既にかなりの深さに達してゐるからと言つて、現代の創造的諸精神が皆われらの中に流れ込んで來ると考へるほど己惚《うぬぼれ》の強いものではないが、すくなくも平和を愛し、また靜かさを愛することにかけては他のいかなる國民にも劣るものでないと信ずる。これ、われらの太平洋であり、靜かなる大洋である所以だ。しかし、われらが現に營みつゝある歴史と活動の中には、廣い和やかな一帶がある外に、強い嵐があり、暖流と寒流とがあり、幾多の海潮とその逆潮とがあり、それから地震の波動があることもまた太平洋に似てゐる。あのブランデスの言葉の中に多くの反省すべきものがあると感ずるのは、おそらくわたし一人ではあるまいと思ふ。

 曾て山陰地方への旅をして、城崎《きのさき》に近い瀬戸の日和山からも、香住の岡見公園からも、浦富、出雲浦等の海岸からも、あるひは石見《いはみ》の高角山《たかつのやま》からも日本海を望み見た。あの海岸に連なり續く高い岩壁は、大陸に面して立つ一大城廓に似てゐた。五ヶ月もの長さに亙るといふ冬季の日本海の活動から、その深い風雪と荒れ狂ふ怒濤とから、われわれの島國を守るやうな位置にあるのも、あの海岸の岩壁であつた。そこには到るところに湧き出づる温泉があり、金、銀、鐵、石炭、その他の鑛物を産する無盡藏の寶庫があつた。かのラフカヂオ・ハアンをして『これより麗しい洞窟は世界中殆んど想像し得ない』と言はしめたほど、空氣の如く明澄な海水を内に湛へ、また幾多の古い傳説が生れて來てゐる數限りもないやうな洞窟によつて飾られてゐるのもあの海岸であつた。この腰骨の強さこそ、大陸的なものをよく受けとめることの出來たわれらの祖先が姿であつたらう。しかし過去の日本人が日本海であると言つて見たいのは、たゞその海岸の特色のみには限らない。翠色の滴るやうな日本の島影を後方にする位置にまで出て行くなら、そこには濃い藍色の黒潮も流れて來てゐる。朝鮮、支那、印度はもとより、どうかするとペルシャから印度を通して來た希臘《ギリシヤ》的なものまでがこの島國に着いた時代もあつたらうかと想像されるのもその海だ。遠い古代の遣唐使船が航路とてもいづれはその海の上であり、雪舟のやうな畫僧が中世の終に生れて南方支那の宗教と藝術とを探り求めるために風波の困難を凌ぎ進んだのもまたその海の上であつたらう。おそらく揚子江の河口から押し來る滔々たる濁流を見た眼で、大陸を離るれば離れるほど青さを増す日本海の色を見たほどのものは、過去の日本人の特色がおよそどの邊にあつたかといふことを看て取ることも出來ようと思はれる。わたしは太平洋を日本海に置きかへて見るところに萬葉集をも感じるし、また近代の曙光を望み見るやうな雪舟の藝術をも感じる。

 兎もあれ、われらの眼に映る大洋は、最早|涯《はて》も無く續いてゐる大海原ではなくて、彼岸へ渡ることの出來る大洋である。東は東、西は西で、永遠に逢ふこともなからうと言ふ人もあつた二つのものが、日本に於いて相會しようとしてゐるとも考へられる。

[#地から2字上げ]「桃の雫」――終



底本:「藤村全集第十三卷」筑摩書房
   1967(昭和42)年3月10日初版発行
   1978(昭和53)年8月30日愛蔵版発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:Nana ohbe
校正:門田裕志、小林繁雄
2008年5月14日作成
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