ノのみ考へてゐるやうに見えるが、自分としては、どうも、さうばかりとは思はれない。勿論『破戒』のやうな作が多少の刺戟を文壇に與へはしたであらうが、あの小説が自分の微力をこめた單行本でなしに、もつと他の違つた形で世に送り出されたとしたら、恐らく、あれほどはつきりとは自分等の進み得る道を開拓し得なかつたらうと思ふ。
そこで、私の長い著作生活を通じて、この『緑蔭叢書』の出版は、最も深い思ひ出の一つとなつたわけである。
今日のやうに印刷術も進歩し、素人が書籍を出版することも困難でない時代に、私の執つた方法なぞも珍らしいことではないかも知れぬが、私の『破戒』を出した頃は出版界も狹苦しく、印刷術などもまだ割合に幼稚で、五六百頁からの長篇を獨力で世に送り出すと云ふことも、なか/\容易な業ではなかつた。當時は活字に對する知識なども幼稚で、本の組方なども極めて粗雜に考へられてゐた。一頁の天地左右の開きなぞも、殆んど定まつた意匠の下になつたやうなものではなく、極めて無雜作に組み入れられると云ふ状態であつた。さうしたことに注意する人も少く、又、考へる人もなかつたかと思ふ。
やむを得ず私はハイネマン社の出版になる小説本の組方を參考に天地左右の開きを定めたこともある。私は又、なるべく、無駄を省いて本を造りたいと思ひ、奧附が必ずしも本の最後に、と云ふ風に考へなくも、それを扉と一緒にしようかとまで思つたこともあつたが、それはあまりに極端だと云ふ、當時上田書店に居た小酒井五一郎君の話で思ひ止まつたこともあつた。
これらは一例に過ぎないが、私も年若くあつたから、あの本を世に送り出すについては、かなり心を碎いた。
『緑蔭叢書』の出版は小さな試みには相違なかつたが、進んで新しい讀者を開拓すること、自分等の著作生活を築くこと、其の他いろ/\のことを私に教へたのも、あの自費出版であつた。
二つの像
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老年は私が達したいと思ふ理想郷だ。今更私は若くなりたいなぞと望まない。ほんたうに年をとりたいものだと思ふ。十人の九人までは、年をとらないで萎れてしまふ。その中の一人だけが僅かに眞の老年に達し得るかと思ふ。
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こんなことを物のはしに書きつけて見たのは、今から十四五年の前にあたる。その頃の私は孫の可愛さといふものを經驗したこともなかつたから、自分の子供のそのまた子供から初めて『おぢいさん』と呼ばれた時の氣持は、果してどんな深刻なものだらうと考へて、まことの老年は孫の愛から始まるといふ風に想つて見たこともあつた。さういふ自分には最早孫が二人も出來た。しかしまだ/\私はほんたうの老年の世界を覗いて見るといふところへすらも達してゐないやうな氣がする。
こゝに『高砂』の翁《おきな》と嫗《おうな》のやうな、古人の想像から生れて來た二つの像がある。共白髮の末の末までとは、下世話《げせわ》にもよく言ふことであるが、一切をさゝげて惜まないほどの人間の情熱にすら、それを根から覆さずには置かないやうな破壞と、矛盾と、悲哀と、不安との伴つて來ることを、誰か結婚の初めに豫期しよう。さてこそ、『高砂』の翁と嫗のやうな二つの像が古人の想像に上つたのも謂れのあることだ。男女の道も絶え果て、かりそめの契りも寢物語になつたかと思はるゝ年頃に達しながら、まだあの老夫婦は二人してこの世の旅を遠く續けてゐる。さう思ふと、あの老年は深い。
婦人の笑顏
古人の言葉に、
『おふくは、鼻の低いかはりに、瞼が高うて、好いをなごじやの、なんのかのとて、いつかいお世話でござんす。』
これは、名高い昔の禪僧が殘した言葉で、おふくが文を持つ立姿の圖に、その畫賛として書かれたものであるといふ。假令《たとへ》鼻が低いと言はれようが、瞼が高いと調戲《からか》はれようが、女の身ながらに眼を見開くなら、この世に隱れてゐる寶と生命と幸福とが得られるといふこゝろもちを、いかにも輕く取り扱つてあるらしい。
このおふくのことで想ひ起すのは、彼女の姉妹とも言ひたいおかめの俤《おもかげ》である。共に婦人の笑顏をあらはして、遠い昔からいろ/\な繪や、彫刻や、演劇舞踊の中にまで見えつ隱れつしてゐるのが、わたしの心をひく。中世以來、續きに續いた婦人の世界の暗さを思へば、『笑』を失つたものが多からうと思はれる中で、あれは光つた笑顏に相違ない。ところが、こゝに縁起をかつぐやうなことばかりを知つて、あのおかめの面の奧を覗いて見たこともないやうな人達がある。さういふ人達が寄つてたかつて、太神樂《だいかぐら》の道化役にも使ひ、酉《とり》の市《いち》の熊手のかざりにまで引張り出す。折角をかしみのある女の風情も、長い間に磨り減らされ、踏みにじられてしまつた。おかめの『笑』と言へば、今はたゞ淺い滑稽の表象でしかない。人はいかなるものをも弄ぶやうになるものだ。すくなくもこの世に幸福を持ち來しさうなあの福々しい女のほゝゑみも、あれはその實、笑つてゐるのか泣いてゐるのか分らないやうな氣がする。
TERRE
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これは詩人川路柳虹君の紹介により、佛國巴里の佛日協會にて發行する『フランス・ジャポン』誌に寄書したもの。もとより原稿は國の言葉で書き送つたものであるが、佛文にて譯載されたのもめづらしく思ふまゝ。
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Le 〔ve'ritable〕 cultivateur, dit−on, ne s'amuse pas avec la terre. Ceux qui ne sont pas agriculteurs peuvent s'imaginer qu'ils travaillent la terre, mais, en 〔re'alite'〕, touchant inutilement le sol, ce ne sont pas des cultivateurs. Le vrai paysan 〔e'vite〕 de toucher la terre, car on 〔s'abi^me〕 la main, on ne peut supporter des travaux de longue haleine. Ceux qui ne sont pas cultivateurs se 〔pre'cipitent〕 pour toucher la terre de leurs mains 〔de`s〕 qu'ils la voient. Les vrais cultivateurs soignent leurs mains et se servent de la 〔be^che〕 et de la houe. Eux seuls connaissent la vraie terreur de la terre.
Il en est de la 〔socie'te'〕 humaine comme du sol. En Orient comme en Occident, le monde entier est dans une grande 〔e'poque〕 de transition. Autour de moi, je vois de nombreuses personnes qui sont 〔pre^tes〕 〔a`〕 toucher la terre 〔de`s〕 qu'elles la voient. Comme ces cultivateurs qui travaillent 〔malgre'〕 le vent et la pluie, nous ne devons pas oublier d'utiliser la houe et la 〔be^che〕. Je crois que les Hindours et les 〔Helle`nes〕 anciens savaient comment se servir de ces instrurments, et qu'ils avaient le 〔coe&ur〕 〔a`〕 la 〔ta^che〕.
覺書
芝三縁亭の會は近頃こゝろもちのいゝ集りであつたと言つてよこして呉れる人があり、徳田秋聲君はじめ諸氏よりの招きを受けたことはありがたかつた。果して自分は作の目的を達したのか、それとも失敗したのか、それすら分らないやうな仕事に、過ぎた祝意を寄せられて恐縮する外はなかつたが、兎にも角にも身は無事で『夜明け前』二部を書き終ることの出來たのはうれしい。わたしの周圍にはこの仕事の濟むのを待ち受けて横濱の方に新しい家庭をつくらうとしてゐたものがあり、二卷の書を活字に組ませ、校正し、印刷に附し、製本させて世に送り出すまでの心づかひも容易でなかつた上に、にはかに訪ねて來る客は多く、頼まれる用事も多く、この二月ばかりたゞ/\あわたゞしい日を送つた。こゝには過ぐる七八年の思ひ出などすこし書きつけて見る。
著作するものの勞苦は説くもせんなきことであるが、田山花袋君はあの通り精力も衆にすぐれた人でありながら、それでも折々は私にむかつて勞作の苦を訴へられたことがある。年老いてから筆が持てなかつたといふ古人の話をよく持ちだしたのも同君で、その古人は手に筆をしばりつけながらでも書いたと私にいつて見せ、筆執り物書くからにはそこまで行きたいといふ話なぞの出たこともあつたと思ふ。私は又、トルストイほどのたくましい精力の人でも、『アンナ・カレニナ』を書き終つた時には非常に疲れて、細君がロシア風な酢乳を造つてその夫に飮ませたといふ話を思ひだし、それを同君の前に持ちだしたことなどを覺えてゐる。私が長い仕事に取りかゝる頃は花袋君はまだ達者でゐたが、さすがに著作の經驗の多い同君は年四囘發表といふやうな私のやりかたを危ぶまれ、今度の飯倉の仕事はおそらく一年とは續けられまいかと人に向つて語られたこともあつたとか。その私がどうやら仕事を續けてゐるうちに、心配してくれた同君の方が思ひがけない病氣にかゝつた。作の出來不出來は別としても、二卷にまとまつた本をあの友達の手に取つて見てもらへないことはまことに殘念に思ふ。さういふ私は年若な頃とも違つて今では少量の食しかとらないし、あの友達なぞに比べると三分の一の仕事も覺束ない。人一倍強壯な體格の持主であつた花袋君が先に亡くなつて、自分のやうなものが生き殘つたことさへ不思議なくらゐだ。
この仕事をはじめかけた頃、次男と三男は相前後して歐洲への畫學修業に遠く旅立ち、長兄の連合《つれあひ》にあたる嫂が青山の親戚の家の方で亡くなつた。昭和四年の六月のはじめ、まだ梅雨の季節のやつて來ないうちに自分がこの作第一部の第二章を書き終つたのは、病床にあつた花袋君の一時快癒を聞く頃であつたと思ふ。中央公論誌上でわたしの發表しはじめた序の章はいくらかでも同君の無聊を慰めたかして、例の鉛筆で次の一詩を葉書にかいて寄せられたことも忘れがたい。
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讀[#二]『黎明前』序章[#一]賦呈
想起曾縢馬籠驛
萬山雲湧卷還舒
大溪幽壑藍青淀
仄屋斜簷深奧岨
盛列諸侯騎前蹕
亂槍敗將釜中魚
※[#「月+童」、291−3]朧日出襯[#二]今代[#一]
君作一篇足[#レ]起[#レ]予
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この詩、花袋君が形見としてわたしの手許に殘つた。第一部の第二章までをあの友達に讀んで見て貰へたことも今は思ひ出の種となつてしまつた。
まだわたしは長い仕事の跡片付もすつかり濟ましてゐない。『夜明け前』を書くためには、作の性質から言つても參考となるべき種々な舊い記録を讀まねばならなかつたから、その都度各方面から借り受けた古帳日記の類は追々と返して來たものゝ、まだそれでも自分の手許にはいろ/\なものがそのまゝ殘してある。あれも返さねばならない、これも返さねばならないと心には掛りながら、たゞ/\休息したいと思ふこゝろもちで一ぱいなのが昨今のわたしだ。木曾王瀧村松原氏の庄屋古帳、中仙道追
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