して、一夏の間の使用にすら耐へないのがある。圓い竹の柄で、全部の骨が一つの竹から分れて行つてゐるやうな丈夫なものはあまり見當らなくなつた。扇子にもまして、もつと一時的で、移り行く人の嗜好や世相の奧までも語つて見せてゐるものは團扇だらうか。形も好ましく、見た眼も涼しく、好い風の來るのを選び當てた時はうれしい。それを中元のしるしにと言つて、訪ねて來る客などから貰ひ受けた時もうれしい。
この節の素足のこゝちよさ、尤も、袷《あはせ》から單衣《ひとへ》になり、シャツから晒木綿の襦袢になり、だん/\いろ/\なものを脱いだ後で、私達はこの節の素足にまで辿り着く。私は人間のからだの中で一番足が眼につくと言つた足袋屋のあることを知つてゐる。それほど職業的な意味からでなく見ても、足の持つ性格の多種多樣なのには驚かされる。素足の表情ほどまた夏の夜の生氣をよく發揮するものはあるまい。
蚊帳、簾、團扇、それから素足なぞと順序もなくこゝに書いて來た。自分の好きな飮料や食物のことなぞもすこしこゝに書き添へよう。
茶にも季節はある。一番よくそれを感ずるのは新茶の頃である。ところが新茶ぐらゐ香氣《にほひ》がよくて
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