と、五月時分からもう蚊帳を吊つてゐると言つてよこした人への返事に、わざと書いて送らうと思つた私の戲れだ。せい/″\一月か一月半ぐらゐしかその必要もないこの町では、蚊帳を吊るのはむしろ樂みなくらゐである。蚊帳の内に螢を放して遊ぶことを知つてゐた昔の俳人なぞは、たしかに蚊帳黨の一人であつたらう。それほどの物數寄《ものずき》な心は持たないまでも、寢冷えする心配も割合にすくないところに足を延ばして、思ふさま長くなつた氣持は何とも言はれない。枕に近く、髮に屆く蚊帳の感觸も身にしみる心地がする。蚊帳は内から見たばかりでなく、外から見た感じも好い。内にまぎれ込んだ蚊を燒くと言つてあちこちと持ち※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]る蝋燭の火を青い蚊帳越しに外から眺めるなぞも、夏の夜でなければ見られない趣きだ。
古くて好いものは簾《すだれ》だ。よく保存された古い簾には新しいものにない味がある。簾は二重にかけて見てもおもしろい。一つの簾を通して、他の簾に映る物の象《すがた》を透かして見る時なぞ、殊に深い感じがする。
團扇《うちは》ばかりは新しいものにかぎる。この節の東京の團扇は粗製に流れて來たか
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