橋行の二等室の内に腰掛けてからも、二人はあまり話す気が無かった。二語《ふたこと》三語《みこと》言っては復た黙って了った。窓から外を見ようとすらもしなかった。揺《ゆす》られ通し船に揺られて、復た汽車に揺られたので、山本さんは居眠りばかりして行った。どうかすると窓の玻璃《ガラス》へ頭を打ちつけた。それほど、身体を支《ささ》えることが出来なかった。新橋へ入ったのは未だ日の暮れない頃であった。何となく頭の上から押しつけられるような、ハッキリと物を考えられない心地《こころもち》で、山本さんは礼を言って車に乗って行くお新に別れた。

 この四日の旅で、山本さんはつくづくそう思って来た。玉子色のリボンで髪を束ねていたような娘が、何時の間にか開き発達した胸を持って、その豊かな乳の張ったさまは着物の上からでも想像される程の人に成った。それに比べると、彼は無限に停滞している自身の生活を憐《あわれ》まずにいられなかった。口の悪い支那の方の友達ばかりでなく、ややもすると旧馴染《むかしなじみ》の「お新ちゃん」にすら「頭の禿げた坊ちゃん」なぞと笑われそうな気がして来た。神田の宿へ戻って長く忘れずにいるあの旧い接吻
前へ 次へ
全28ページ中25ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
島崎 藤村 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング