りで浴槽《ゆぶね》の方へ旅の疲労《つかれ》を忘れに行った。
やがてお新は戻って来た。部屋の隅《すみ》には鏡台も置いてあった。彼女はその前に坐って、濡れた髪を撫でつけた。
山本さんは最早湯から上って来ていた。大きな卓《つくえ》を真中にして、お新も瀟洒《さっぱり》とした浴衣のまま寛《くつろ》いだ。山本[#「さん」は底本でも脱落]が勧める巻煙草を、彼女は人差指と中指の間に挿《はさ》んで、旅に来たらしく吸った。
夕飯には、山本さんはすこしばかりビイルをやった。
「貴方も召上りますか」
と女中が差したコップをお新は受けて、甘そうに泡立つビイルを注がせた。「ホ――お新ちゃんはナカナカ話せる」と眼で言わせた山本さんの方は、反って顔が紅く成った。お新は電燈に映るコップの中の酒を前に置いて、その間には煙草も燻《ふか》した。山本さんが行って来た方の長江の船旅の話なぞは、彼女を楽ませた。山本さんと違って、そう遠慮ばかりしていなかった。
とは言え、お新は女らしさを失いはしなかった。それが反って家に居る時の若い内儀《おかみ》さんらしくも見えた。
「何をしても悪く思えない少婦《おんな》だ」
と山本さん
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