城《けいじょう》へも行き、木浦《もっぽ》、威海衛《いかいえい》、それから鉄嶺《てつれい》までも行った。支那の中で、一番気に入ったところは南京《ナンキン》だった。一番長く居たところもあの旧《ふる》い都だった。
無器用なようで雅致のある支那風の陶器《せともの》とか、刺繍《ぬいとり》とか、そんな物まで未だ山本さんの眼についていた。組を造ってよく食いに行った料理屋の食卓の上も忘れられなかった。丁度|仏蘭西《フランス》あたりへ長く行って来た人は何かにつけて巴里《パリ》を思出すように、山本さんは又こうして町を歩いていても、先ず南京の二月を思出す。
今度の帰朝で彼を驚かしたのは、東京に居る友人の遠く成って了《しま》ったことだ。最早《もう》死んだ人もある。引越した先の分らなく成って了った人もある。めずらしく旧《むかし》の友達に逢っても、以前のようには話せなかった。
こんな外国人のような、知る人も無い有様で、山本さんは妹を待受けていた。妹の手紙には、寒い方から鼻の療治に出掛けるとしてあった。仙台から一里ばかり手前にある岩沼というところが山本さんの郷里だ。この空には、東北の方の暗さも思いやられた。
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