。二月末のことで、町々の空気は薄暗い。長いこと東京に居なかった山本さんは、新式な店の飾り窓の前などを通りながら、往来《ゆきき》の人々をよく注意して歩いた。以前には戦争を記念する為の銅像もなく、高架線もなく、大きな建築物《たてもの》も見られなかった万世橋附近へ出ると、こうも多くの同胞が居るかと思われるほど、見ず知らずの男女《おとこおんな》が広い道路を歩いている。風俗からして移り変って来たその人達の中を、彼は右に避《よ》け、左に避けして、旅から自分が帰って来たのか、それとも自分が旅に来たのか、何方《どちら》ともつかないような心地《こころもち》で歩いた。あだかも支那からやって来て、ポツンと東京の町を歩いている観光の客のように。
こうは言うものの、山本さん自身も、何処《どこ》かこう支那人臭いところを帯《も》って帰って来た。大陸風な、ゆったりとした、大股《おおまた》に運んで行くような歩き方からして……
しかし不思議だろうか、山本さんのように長く南清《なんしん》地方に居た人が自然と異なった風土に化せられて来たというは。彼は支那ばかりでなく、最初は朝鮮、満洲へ渡って、仁川《じんせん》へも行き、京
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