に着いた。汽車に乗込もうとする客だの、見送りに来た人達だのが、高い天井の下を彼方此方《あちこち》と歩いていた。山本さんもその間を歩き廻って、お新の来るのを待受けていた。次第に不安が増して来た。果して彼女は来るだろうか。お牧を離れて彼と二人ぎりの旅、それを心易く考えるだろうか。山本さんは安心しなかった。
そのうちに、幌《ほろ》を掛けてやって来た車が停車場前の石段の下で停った。彼女だ。
いかに気質を異にし、いかに心の持ち方を異にした人達で、この世は満たされているだろう。東京から稲毛《いなげ》あたりの海岸へ遊びに出掛けるのに、非常にオックウに考えている人すらある。そうかと思えば、東北の果から遠く朝鮮の方まで旅を続けて、内地の温泉めぐり位は物の数とも思わないような家族もある。山本さんの心配は、お新の快活な、心《しん》から出るような笑で破れた。彼女は例の薄い鼠色のコオトに、同じような色の洋傘《こうもり》を持って、待合室から改札口の方へ山本さんと一緒に歩いた。
「兄さん、シツコクしちゃ嫌《いや》ですよ――そのかわり、何処へでも御供しますから――」
と彼女の眼が言うように見えた。
どこまでもお新は活々としている。細長いプラットフォムを歩いて行くにしても、それから国府津《こうず》行の二等室の内へ自分等の席を取るにしても、どこかこう軽々とした、わざとらしくなく敏捷《びんしょう》なところが有った。
彼女はこれまで、旅行好な舅《しゅうと》や夫に随《つ》いて、大抵|他《ひと》の遊びに行くような場所へは行っていた。内地にある温泉地、海水浴場のさまなぞも、多く暗記《そらん》じていた。国府津小田原あたりは、めずらしくも無かった。好い連さえあれば、すこし遠く行く位は何でもなく思っている。
旅するものに取ってはこの上もない好い日和《ひより》だった。汽車が国府津の方へ進むにつれて、温暖《あたたか》い、心地《こころもち》の好い日光が室内に溢《あふ》れた。
山本さんは彼女と反対の側に腰掛けて行った。時々彼は何か捜すように、彼女の前髪だの、薄い藤色の手套《てぶくろ》を脱《と》った手だのを眺めて、どうかするとその眼でキッと彼女を見ることもある。しかし、そこには楽しい日光があるだけのことだった……その日光に、形の好い前髪や、白い、あらわな、女らしい手が映って見えるというだけのことだった……
何
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