しゅうございます。さようなら」
節子はこれだけのことを鉛筆で書きつけてよこした。「創作のために払う犠牲は嬉しい」というような健気《けなげ》な言葉の書いてある紙の上には、離別の涙のそそがれた痕《あと》がにじんでいた。岸本はこれを読んで、どうやら真《まこと》の進路のいとぐちが彼女の上に開けかかって来たことを想像し、幽閉も同様な今の境涯から動いて出て行かれるというのも確かに彼女の心からであると想像して見た。
その日、岸本は谷中の方から訪ねて来た民助を迎えて、新しい住居で別れの食事をした。節子が台湾行の旅費をも兄の手に託した。
「私はもうお見送りはしません――今度は遠慮します」
こう言って岸本は兄に別れた。民助はまた何時節子を連れて台湾の方へ向うというその日取すらも弟に告げようとはしなかった。
百三十九
今はもう岸本に取って、節子の旅立を蔭《かげ》ながら見送るばかりに成った。彼女が涙の多い六年の月日を送った後で進んで遠い旅に出ようとするその前途を見まもるばかりに成った。
十月の晦日《みそか》に、輝子は岸本の家を見ながら訪ねて来て、二階の部屋で妹の話をした。
「明日の午後一時に節ちゃん達も東京駅を発《た》つそうです」と輝子は言った。「明日は私も谷中へ行くつもりですが――後へ節ちゃんの心が残るといけないから、誰も停車場までは来てくれるなッて、台湾の伯父さんもそう仰《おっしゃ》いますからね、私もまあ一ちゃんでも連れて、上野あたりまで見送ってあげるつもりです」
「ああそうか。俺も今度は万事遠慮することにした」と岸本は答えた。
「昨日は私の家でも台湾へ行く人だけを呼びました。台湾の伯父と節ちゃんの二人にお客さまに成って頂きましてね。何か私も節ちゃんにお餞別《せんべつ》をと思いまして、何でもお望みって言いましたら、節ちゃんが書籍《ほん》を欲しいなんて言いましてね、二人で神田まで探しに行きましたよ。そう言えば、節ちゃんの頂いた書籍で、叔父さんのところにお預けしたのが有るそうですね。あれを私に頂いて来てくれッて、節ちゃんから言伝《ことづ》かってまいりましたよ。もし有りましたら」
「お前も明日谷中へ行くなら、そう言っておくれ。節ちゃんも無論承知のことだろうとは思うがね、これから台湾へ行ってゆっくり書籍《ほん》でも読める時があると思うと大違いだッて、俺がそう言って
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