を思い出させる。そこには二階がある。神田川の川口に近い町中で七年も臥《ね》たり起きたりした以前の小楼を思い出させる。子供等はめずらしがって、家の周囲《まわり》にある木の多い小路《こうじ》や、谷底の町の方へ続いた坂道などを走り廻った。
 引越して三日目に、岸本は節子から手紙と小包とを受取った。小包の中からは彼女が谷中の方で手植にしたという秋海棠《しゅうかいどう》の根が四つ出て来た。岸本は彼女から来た手紙を二階の新しい書斎で読んで見た。
「取急ぎしたためます。この手紙は前後もなくしたためますから、そのおつもりで御覧下さい。未だ愛宕下の方へお伺いします頃、祖母さんの鼈甲《べっこう》のかんざしの頂《いただ》いたのがありまして、それを束髪のに直して貰《もら》うように頼んで置きましたが、そのままに成っております。あれは私にはもう用のないものでございます。失礼ですがあれを記念に差上げたいと思いますけれど、いろいろ都合もございますので、もし上野|辺《あたり》へいらっしゃるような時がございましたら、どうぞお受取り下さい。小間物店のあるところは別紙にしたためて置きました。それから只今《ただいま》小包をお送りしましたからお受取り下さい。
 ――頂いたお手紙やその他のものはどんな機会で人の目に触れないともかぎりませんから、これも一ト纏《まと》めにして旅に出る前にそちらへお届けします。どうぞお預かり下さい。創作を護るためには、どんな犠牲をも払わねば成りませんからね。
 ――新しい日の教育を受けるような心持で私は旅に出掛けてまいります。創作のためにベストを尽して下さる時が旅にある私の一番強い時であることを思って見て下さいまし。以前に頂きました帯と着物でございますね、こちらではちっとも都合が出来ないものですから、あれをそっくり旅費やら何やらに宛《あ》てることに成りました。お志しは身につけ心につけて長く頂いておりますから、どうぞ形の上の失礼をお許し下さい。
 ――もっと落ちついて、ゆっくりこの手紙を差上げたいのですけれど、これだけでも余程骨折って、僅《わずか》にしたためるのでございます。お別れなんて言うのも何だかおかしいようでございますね。何時でも御一緒なんですもの。台湾の伯父さんからのお話もございますし、しばらく御無沙汰《ごぶさた》に成りましょうが、どうぞおん身御大切に。創作のために払う犠牲は嬉
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