いう話を民助の耳に入れて置こうとしたが、兄は笑って相手にしなかった。
「さあ、これで大体の事は決った――」と民助は言った。「もう一つ断って置くが、節ちゃんの方に心残りがあっても不可《いかん》からナ、貴様から餞別《せんべつ》を贈ることは見合せて貰いたい」
「承知しました。私の方では万事遠慮しましょう。台湾の方へあの人を連れて行って頂くのが何よりと思います」
「義雄も賛成、貴様も賛成だ。俺もまあこれで出て来た甲斐があった。節ちゃんも大悦びサ。もう俺に随《つ》いて行くつもりで、今日なぞは荷物をこしらえていたよ――」
百三十七
自己《おのれ》をそこへ投出してかかった岸本がこれまで親戚《しんせき》に答えて来たことは極く簡単であった。輝子は岸本が告白の当時に来て言った。「節ちゃんはもう叔父さんのところへお手伝いにはよこしませんから、そのつもりでいらしって下さい」――「どうぞ」義雄が次に手紙を送ってよこした。「貴様は義絶してしまうから、そう心得ろ」――「どうぞ」岸本はこの簡単な答を今また民助に対しても繰返すの外は無かった。「貴様は心で思っていろ、節子はもう遠いところへ連れて行ってしまうぞ」――「どうぞ」
新しい住居で今一度|逢《あ》おうということを約して置いて、やがて民助はそこそこに谷中の方へ戻って行った。強い悲哀《かなしみ》が岸本の心に残った。
「父さん」
と言って繁が庭伝いに屋外《そと》から帰って来た頃は、部屋の内はもう薄暗かった。
「父さんはこんな暗いところに何していたの」と繁が訊《き》いた。
「お引越しの支度《したく》をしていたサ」と岸本は答えた。
「僕は父さんが居ないのかと思った。こんなに暗くなるまで、燈火《あかり》も点《つ》けないで――」
と言いながら繁は離座敷《はなれ》の電燈をひねって歩いて、鞄《かばん》や柳行李《やなぎごうり》などの取出してある二つの部屋を明るくした。
下宿で暮して見る最終の晩が来た。夕飯後からは岸本は殊《こと》にいそがしい思いをした。子供等は新しい住居の方へ行くことを楽みにして、名残《なごり》を惜む宿の女中を相手に引越しの前らしい時を送っていた。そのごたごたした中で岸本は節子から電話の掛って来たことを知った。
「叔父さんでいらっしゃいますか……」
母屋《おもや》の電話口で聞くこの声は、復《ま》た何時《いつ》聞くこと
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