置にその時の自分を見出したのであった。彼は節子に言った。「二度とあんな旅に出掛けるなんてことは、俺には出来ない。もしそんな場合が起って来るとしたら、俺は死ぬより外に仕方がない。さもなければ、寺院《おてら》へでも入ってしまう。そんな話を聞いたばかりでも、俺はもうこの頭を剃《そ》ってしまいたく成った――」これほど彼は深い悲痛を覚えたことを思い出した。何という不安な日がそれから二人の上に続いたろう。節子はその心配を胸にもちながら、高輪から谷中《やなか》の家へ引移って行ったことを思い出した。彼はまた節子から来た手紙の端に次のような短い言葉を読むまでは安心しなかったことを思い出した。
「最早僧坊生活の必要もなくなりましたから、御安心下さい」
岸本が自分と節子との結びつきをおろそかに考えないように成ったのも、彼女に対する自分の誠実《まこと》を意識するように成って行ったのも、この悲哀《かなしみ》に打たれた後から起きて来たことを思い出した。荒びたパッションが通り過ぎて行った後になって見て、一層その事がはっきりと岸本の胸に纏《まと》まって浮んで来た。
百二十四
しかしそればかりではない、岸本は節子と共に送った月日の間に、子供の時分から先入主となったいろいろな物の考え方なぞを変えさせられたことを思い出した。彼はあの仏蘭西《フランス》現代の彫刻家の手につくられたマリアの石像というものを思い出した。その石像は、彼が仏蘭西の旅の間に到るところの羅馬《ローマ》旧教の寺院や又は美術館などに見つけた古画と比べるまでもなく、あのリモオジュの田舎家《いなかや》の壁に掛っていたマリアの図に見つけるほどの聖母らしい面影にも欠けていたことを思い出した。その石の塊からは何が浮いて来るかと言うに、ありふれたマリアの像に見るような平和と円満とのかたちではなくて、子を産んだ処女の衰えた姿であったことを思い出した。豊かな頬《ほお》と胸とのかわりに、げっそり削り取られたように肉がその石に彫り刻んであったことを思い出した。丁度彼が遠い旅から帰って来て見た節子の変り果てた姿がそれであった。その節子が眼に見えて違って来て、三年も彼女の側に居て心配しつづけた祖母《おばあ》さんまでがそれを言うほど違って来たことを思い出した。彼女の動作から、彼女の声まで生々として来たことを思い出した。しまいには節子が彼のと
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