とは、例の女医から自分の子供の写真を手に入れたと言って、それを岸本の許へ見せに持って来たのであった。その時、岸本は初めて親夫という子供の姿を見た。それを節子と一緒に見た。その子供のおもざしは母親によく似ていて、殊《こと》に眼付なぞは節子にそっくりで、幼い遊び友達と二人で写真に撮《と》れていた。「お前はもう子供を欲しいとは思わないか」そんな串談《じょうだん》の中にも、岸本は節子の独身で居るのを憫《あわれ》む心から言って見た時、彼女は首を振って、「もう沢山、このうえ子供があったら私は死んでしまいますよ」と真面目顔《まじめがお》に答えたこともあった。それが彼女の通って来た最後の時であった。
 食後に、岸本は節子から預かって置いた子供の写真を取出しに行って見た。罪のない幼いものの存在が今はハッキリと岸本の父らしい意識に上るように成った。

        百二十三

 庭先にふりそそぐ雨の音を聴《き》きながら、岸本は更に思いつづけた。沈まって行った情熱を静かなところで想い起して見ると、実にいろいろなことがその中から出て来た。
 二階がある。窓がある。障子がある。障子の外は直《す》ぐ物干場につづいて、近くの町の屋根も見える。遠く小高い崖《がけ》の地勢に立つ雑木林の一部も見える。郊外らしい空もそこから望まれる。その窓際《まどぎわ》に身をよせて、譬《たと》えようのない不安に沈んだ人のようにしょんぼり窓の外を眺めている女がある。この二階が以前の高輪《たかなわ》の家の近くに岸本の仮の書斎としてあったところだ。この女が節子だ。
 その時ほど岸本は自分の弱いことを感じたことは無かったことを思い出した。何故というに、三年の旅の修業が実際何の役に立つかと自分ながら疑われて来たのも、その時であったから。節子が二度母にならないとも限らないような心配らしい口吻《くちぶり》を泄《も》らしたのも、その時であったから。人の経験というものの力なさがその時ほど彼を嘆息させたことも無かった。あれほど死に損《そこ》なうような苦い思いを一度経験しながら――あれほど寂しい流浪《さすらい》の旅に行って異郷の客舎の床《ゆか》の上に跪《ひざまず》き、冷い板敷に額を押宛てるまでにして、男泣きに泣いても足りないほどの痛苦を一度経験しながら――その経験が少しも彼の頼みにはならなかった。彼は新たに同じ事を悲まねば成らないような位
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