にまで導いた。それはまた、親の計画を齟齬《そご》させ、娘を親から反《そむ》かせ、混雑と狼狽《ろうばい》とを親戚の間に蒔《ま》き散らした。岸本が自分の生活を根から覆《くつがえ》そうとして掛ったことは、今更眼に見えない牢屋《ろうや》なぞを出られて堪《たま》るものかというものをも、嘘《うそ》を嘘として置いて貰わないことには周囲《はた》で迷惑だというものをも、そういうものまでも一緒に覆してしまった。
 しかし岸本はもっと広い自由な世界をめがけて脇目《わきめ》もふらずに急ごうとした。仮令《たとえ》親戚から離れ、人から爪弾《つまはじ》きせられ、全く自分一人に生きなければ成らないような時が来ようとも、彼としてはそれも已《や》むを得なかった。七月に入る頃までには、彼は海の外へ逃《のが》れようとした旅の動機から、暗夜に神戸の港を離れて行く外国船の中の客となったまでの事実を世間に発表した。過ぐる年月の間の最も心の暗かった時のことが、一日々々と曝露されて行った。長いこと彼の身に附纏《つきまと》った秘密の影、葬ろう葬ろうとして到底葬り得なかった過去の罪過――彼はそれらの暗いものと共に倒れて行く自己《おのれ》を見るような傷《いた》ましい心持に満たされた。
 節子が愛宕下へ通って来る道も最早絶え果てた。岸本は彼女への月々の仕送りも見合せ、手紙を書くことも見合せ、ただただ引籠《ひきこも》り勝ちに謹慎の意をあらわしていた。でも節子の方からはよく手紙をよこした。彼女は折々の消息を岸本に伝えることを怠らなかった。この間父に宛てて書いたものを姉が来た時に読んで貰ったと彼女は書いてよこした。その時も二階から聞える父の大きな声が自分をハラハラさせるほどであったが、結局姉を通して、「今に俺が考えて置く」という父の返事であったと書いてよこした。父は嫌《いや》な顔をしていることもあるが、どうかするとすっかり馬鹿にでも成ったように自分を見ている時もあると書いてよこした。父から叔父さんへ送った返事のことも姉から聞いて、仕方の無い自然の成行《なりゆき》と思うと書いてよこした。しかし今までの苦しいことも、悲しいことも、何一つ無駄になったものの無いことを思えば、今度のような出来事からもいろいろと物を考えさせられて、反《かえ》って自分に取っては静かにはっきりとした心持で勉強の出来る時を与えられたような気がすると書いてよこした
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