懺悔の内容そのものが彼には答の一切であった。
 義雄は一方に岸本を絶交し、一方には節子に結婚を勧めようとした。そのことを岸本は節子からの手紙で読んだ。節子は岸本に宛てて書いた中に、別に父に与えた手紙をも同封してよこした。その二通の手紙にざっと眼を通して見た後で、岸本は彼女が父に与えたという方を読返して見た。
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「先日の御説確かに拝聴|仕《つかまつ》り候《そうろう》。父上の論法より推す時は、あるいはそこに到着するやも計られず候。されど、百万遍の迷《まよ》い言《ごと》何の益《えき》なけれど聞いてつかわすべしとの仰せを幸《さいわい》、おのが心事を偽らず飾らず唯《ただ》有りのままに申し上ぐべく候。
 ――先《ま》ず申上げたきは親子の間に候。親の命に服従せざるごときは人間ならずとは仰せられ候えども、そは余りに親権の過大視には候わずや。斯《か》く言えばいたずらに親を軽視するものとの誤解も候わんなれども、決して決してさる意味にて申上るにはこれなく候。何事も唯々諾々《いいだくだく》としてその命に従い、あるいは又、内部に反感等を抱《いだ》きながら表面には唯これに従うごときは、わが望むところにはこれなく候。生命ある真の服従こそわが常の願いに候。思想の懸隔に加えて、平生の寡言《かごん》のため、これらを言い出ずる機会もなく今日に至りしものにこれあり候。
 ――自己の過ちを悔いもせず改めもせで、二度《ふたたび》これを継続するがごときは禽獣《きんじゅう》の行為なりと仰せられ候。まことに刻々として移り行く内部の変化を顧みることもなく、唯外観によりてのみ判断する時は、あるいは世の痴婦にも劣るものとおぼさるべく候。すべてに徹底を願い、真実を慕うおのが心のかの過ちによりて奈何《いか》ばかりの苦痛を重ねしか。そは今更|云々《うんぬん》致すまじ。最後の苦汁の一滴まで呑《の》み乾《ほ》すべき当然の責ある身にて候えば。されど孤独によりて開かれたるわが心の眼は余りに多き世の中の虚偽を見、何の疑うところもなくその中に平然として生息する人々を見、耳には空虚なる響を聞きて、かかるものを厭《いと》うの念は更に芭蕉《ばしょう》の心を楽しみ、西行《さいぎょう》の心を楽しむの心を深く致し候。わが常に求むる真実を過ちの対象に見出したるは、一面より言えば不幸なるがごとくなれど、必ずしも然《さ》らで、過ちを変
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