万事休す。われに断腸の思いあり。足下は自己を懺悔すと称《とな》えながら、相手方の生活を保証することによって不徳を遂行せんとするの形跡あるは言語道断なりと言うべし。吾娘はわれに於いて処分するの覚悟を有す。敢《あえ》て足下の容喙《ようかい》を許さず。
ここに涙を振《ふる》って足下を義絶す。
[#地から2字上げ]岸本義雄
岸本捨吉殿
猶、子供は罪なきものなれば、泉太、繁二子が時々の来訪を許す。
世の中の善きも悪《あ》しきも知れる身のなど踏み迷ふ人の正みち」
[#ここで字下げ終わり]
義雄は輝子を使として、これを岸本の許へ持たせてよこした。いずれ返事をすると義雄の方から前触《まえぶれ》のあったのがこれだ。
輝子は父の封書を岸本の前に置いたまま、直ぐに座をはずした。彼女は離座敷《はなれ》の廊下の方へ起《た》って行って、しばらく障子の外に立ちつくした。やがて岸本がその絶交状を読んでしまった頃を見計らって、復た彼女は叔父の居るところへ引返して来た。
「お前のお父《とっ》さんのところからこういうものが来た」
岸本はそれを輝子に言って見せたぎりで、大判の奉書に兄自身筆を執って眼病後の人らしく大きく書いてある手紙を巻き納めた。
「叔父さんの親切にして下さるのが、反って節ちゃんには身の仇《あだ》ですよ」
この輝子の言葉が岸本の沈思を破った。輝子はさも迷惑顔にそれを言ったが、岸本の方では別にその事について何も言おうとはしなかった。彼は自分で茶を入れて、使に来た輝子をねぎらうようにした。
輝子が帰って行った後、岸本は兄の書いたものを読み返した。その手紙の終に諷諭《ふうゆ》の意を寄せたらしく書き添えてある兄の三十一文字《みそひともじ》を繰返して見た。
「世の中の善きも悪しきも知れる身のなど踏み迷ふ人の正みち」
岸本は兄の非難と、長いこと自分の考え苦しんで来た心持とを思い比べた。彼はそう思った。成程、兄の非難することは以前の自分にも赦《ゆる》しがたい罪悪と考えられた。それはまたこの世に成就しがたいことでもある。しかし自己《おのれ》に顧みて疚《やま》しくないところまで行ったものであったら、仮令《たとえ》この世に成就しがたいことでも、一概にそれを罪悪とは考えられないと。これほど岸本は兄と意見が違うばかりでなく、以前の自分とも違って来た。彼は唯黙ってこの手紙を受けて置いた。
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