た。
百十
節子の母親は病院に二十二日居て亡《な》くなった。遺骸《いがい》の始末まで病院の方の世話に成ることは岸本の本意ではなかったが、しかしその病院の規則として、そこの病室で亡くなったものは病院から火葬場の方へ送り、骨にして遺族へ渡すまでの面倒を見てくれるとのことであった。岸本は愛宕下《あたごした》の方に居て嫂の遺骸が火葬場の方へ送られたことを聞いた。それを聞いた日から、彼は自分の懺悔《ざんげ》の稿を起した。
世間を狭《せば》めるということが、未だ愚かしい著作を発表するまでにも行かないうちに、早や岸本の身に感じられて来た。帰国後の岸本はある私立の大学で一週に二時間ほどの講義を受持っていた。彼は著作のために忙しくなるというのを口実にして、それとなく講座に立つことを遠慮した。諸方には仲間同志その他の種々な会合があった。そういう場所へも出席することを遠慮するように成った。彼の思い立ったことは早やこの通り自分を肩身の狭いものにした。それにも関《かかわ》らず、彼は今までの岸本捨吉を捨て、元の一書生に還《かえ》るつもりで、もっと明るい自由な世界へ出て行こうとした。誰にも黙って眼に見えない牢屋《ろうや》を出る時が来た。この考えは彼を悦《よろこ》ばせた。彼はあの長い流浪の旅を終って故国に帰り着いた当時のことを思い出した。あの長期の航海を続ける船乗の心に自分の耐えがたい思郷の念を譬《たと》えて見たことを思い出した。陸の上に仆《たお》れ伏し、懐《なつ》かしい土に接吻《せっぷん》したいと思うという船乗の心は全く自分の心に近いと考えたことを思い出した。今こそまことにその時が来た。この考えもまた彼を悦ばせた。
その時になって見ると、岸本が辿《たど》り着いた愛の世界は罪過の苦しみから出発したところからは可成《かなり》遠いものであった。
「二人していとも静かに燃え居れば世のものみなはなべて眼を過ぐ」
これは節子が最近の心の消息を伝えた歌だ。彼女は岸本の一切を所有し、岸本はまた彼女の一切を所有した。しかし二人とも何物をも所有してはいなかった。
最早《もはや》岸本は何処《どこ》に節子を置いても可いという気がした。節子の精神《こころ》が独《ひと》り立ちの出来るまでに彼女を養い育てたという気もした。若い若いと思っていた節子が既に二十六にも成る。もし彼女の将来の望み
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