とを頼みにも行って来た。彼は懐にしている手紙を嫂に残して置いて後で静かに読んで見て貰うつもりであった。その心で、嫂の側に居た節子を一寸《ちょっと》病室の外へ呼んだ。そこの廊下つづきには、看護婦等の往来《ゆきき》する長い板敷とは少し離れた別の廊下があった。岸本は節子と二人で硝子戸越しに向うの廊下の硝子戸の見える高い柱の側に立って、書いて持って来た手紙のことを話した。
「矢張《やっぱり》、そりゃ書いた方がようござんすよ。口じゃ言えませんからね」
と節子は言って、遽かに沈思を誘われたかのように硝子戸の外を眺めながら立っていた。
「じゃ、行こう」
と岸本が病室の方へ節子を誘おうとした時は、さすがに狼狽《ろうばい》の色が彼女の顔に動いた。節子は岸本に随《つ》いて病室に入ると直ぐ窓の方へ行った。岸本が病人の側に立って看《み》ている間に、節子はもう窓際で涙ぐんだ。
「姉さん、私はあなたに読んで頂くつもりで、手紙を書いて持って来ました。後でこれを御覧なすって下さい……」
この言葉と、詫の心の籠った御辞儀と、手紙とを残して置いて、間もなく岸本はその病室を出た。
百八
その日の夕方のことであった。岸本は愛宕下の方に帰っていて、下宿の電話口へ呼出された。
「父さん、病院から電話」
と泉太や繁は言い合って、二人とも心配顔に電話口の下のところに集まっていた。嫂の手術が午後にあったことを岸本はその時の電話で知った。先方の声は節子で、手術後の病人の疲れて休んでいることや、父も今谷中の方から来ているということなぞを病院から知らせてよこした。
「今朝置いて来た手紙を姉さんは見て下すったろうか」と岸本はその電話口で訊いた。
「見ません」と節子の声で。
「あ、そうか、見なかったのか――」
「預って置いてくれと言いますから、私がお預りして置きました」
とまた節子の声で。
電話口を離れてから、岸本は自分の心持の十分に嫂に届かなかったことを残念に思いながら部屋の方へ戻って行った。
しかし岸本が実際に自分の為《し》たことを皆の前に白状してしまおうと思って、本気でその支度に取り掛ろうとしたのも、嫂に宛てた手紙を書いた時からであった。節子の言草ではないが、黙って置きさえすればもう知れずに済む事だ。自分はこの通り愚かしいという事をわざわざ表白して、その結果はどうなる。この考えは幾
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