「節ちゃん、どうだねえ、お前の『創作』はこういう時の役に立ってるかねえ」
「その力一つで私は持ってるようなものなんですよ……」
と節子は言って見せてホッと深い息をした。
やがて節子は自分の子供のことに就《つ》いて、例の女医から得た消息を岸本に話し始めた。その子供の話になると、彼女は他の一切のことを忘れているかのように見えた。彼女は父に内証で、いずれ折を見て自分の子供に逢《あ》おうと女医に約束したことや、幼年画報なぞを買ってそれとなく子供に贈るつもりで女医に託したことや、最早子供が字なぞを書くようになって仮の親達から末頼もしく思われているという女医の話なぞを岸本にして聞かせた。
しばらく節子は岸本の側で、自分の子供の噂《うわさ》に時を忘れていた。
「そう言えば、もう病院へ行かなきゃ成るまい。お母さんもお前を待ってるだろう」
と岸本の方で節子を促すように成った。彼の胸は節子の弱ってしまわないように、何とかして彼女を力づけたいと思うその心配で一ぱいになった。
「葡萄酒《ぶどうしゅ》でも飲んでおいで」と言いながら、岸本は思いついたように部屋の隅《すみ》にある茶戸棚《ちゃとだな》の方へ立って行った。そこからボルドオの罎《びん》を取出した。彼は自分でも仕事の疲労を忘れるために買って置いたその好い香気《におい》のする興奮剤を激しく疲れている節子に飲ませた。
百六
病院の方の様子を気遣《きづか》って、入院後六日ばかりになる嫂を見舞うために、岸本は愛宕下の下宿を出た。和泉橋まで電車で行って、それから病院を訪ねると、そこは岸本に取っても見覚えのある古い大きな建物の跡であった。未だ朝のうちのことで、施療を受けるための男や女の患者が入口の石の柱の側に群り集っていた。
嫂の病室は、幾|棟《むね》かの建物に連なる長い病院風の廊下を突当ったところにあった。この病院へ通う博士の厚意で、小児科の病室の明いたところが嫂に貸し与えられてあった。岸本嘉代とした黒い札の掲げてある部屋の中には、寝台が一つ壁によせて置いてあった。その上に見違えるほど病み衰えた嫂が横に成っていた。
「オオ、叔父さんか」
と嫂は訪ねて行った岸本を見て言った。部屋には嫂だけで、附添のものも見えなかった。
「姉さん、独《ひと》りですか」と岸本が訊《き》いた。
「昨夜《ゆうべ》は節も用があると見えて、
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