に、これから直にも出掛けようということを兄に約した。
 その時の義雄は最早附添なしに独《ひと》りで岸本の部屋に訪《たず》ねて来て、独りで廊下を帰って行くほど眼も快《よ》くなった。岸本は母屋《おもや》の玄関まで義雄を送りに出た。別れ際《ぎわ》に、義雄は半分|独語《ひとりごと》のように、
「でも、御方便なものだ」
 こう言い捨てた言葉を残して言った。

        百五

 谷中の家に病んでいた嫂が和泉《いずみ》橋に近い病院の方へ移ったのは、それから三四日後のことであった。入院の日は嫂は籠《かご》で、輝子と節子とが俥《くるま》で随《つ》いて行ったということを、岸本は後になって聞いた。附属の看護婦も同じ郷里の方の生れの人とやらで、病人も大いに安心したらしいということをも聞いた。
 ある日、岸本は三人の子供を学校へ送り出して置いて、独りで自分の部屋の机に対《むか》って居ると、思い掛けない時に節子が訪ねて来た。彼女は例のように病院へ行くと言って家を出た足を愛宕下の方へ向けて、一寸《ちょっと》岸本を見に寄ったとのことであった。彼女はもう幾晩となく碌《ろく》に休まないという看護の疲労や、母の病気の心配や、それらのものに抵抗しようとして気を張っていなければ成らないような心から遁《のが》れて、ほんの僅《わず》かの息を吐《つ》く時を岸本の側へ見つけに来たという様子であった。
「俺はお前のことを心配していた……そんなに幾晩も休まなかったら、後で弱るぜ」
 と岸本は言って、激しい底疲れのために苦しそうにしている節子の顔を見まもった。どうかすると彼女の蒼《あお》ざめた頬《ほお》には薄紅《うすあか》い血の色が上って、それがまた彼女の表情をいじらしく鋭くした。
「でも、病院へ通うように成ってから、お前も余程楽になったろう――」と復《ま》た岸本はいたわるように言って見た。
「それがですよ、私でも附いていませんとお母《っか》さんが愚図々々言いまして――それに夜は寂しがりましてねえ。ですから私はお母さんの側へ行って泊ってあげることにしていますよ」
「輝にでも代って貰うが可《い》いじゃないか」
「ええ、姉さんも来てくれますが、何しろ子供がありますからねえ。私の家の方にはいざという場合に、ほんとうに頼みに成るような人はありません……」
 こう言って、節子は帯の間に手を差入れながら俯向《うつむ》いた。

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