時に看《み》て来たばかりでなく、谷中から来る種々な報告で知るように成った。節子の手紙を持って体温器なぞを借りに来る一郎の話で。谷中へ行った帰りがけにはよく嫂の様子を知らせに寄る輝子の話で。岸本は病人のことを心配し出したばかりでなく、看護のために昼夜附きりだという節子のためにも気を揉《も》んだ。もう三晩ばかりも碌々《ろくろく》休まないという節子からの便《たよ》りのあったのが、前の月の十九日あたりのことだ。
「夜明でございます。今しがた祖母さんに按摩《あんま》さんの方を代って頂いて、階下《した》へ来ました。御飯掛けた少しの間にこれを書いております――」
 こうした文句の書いてある節子の手紙を読んだ時の心持は、ずっと岸本に続いて来ていた。寒い二月の夜の三時頃に弟を連れて医者の家を叩《たた》き起しに行ったという節子を岸本は想像で見ることが出来た。胸の痛む病人の側に附いていてはほんの少し寝返りを打たせるにも手を貸さなければ成らないほどであるが、しかし母の看護には出来るかぎりの力を尽しているから安心してくれという彼女をも、そのいそがしく骨の折れる中で凍って書けないという硯《すずり》に対《むか》いながら夜明けの心持を分けようとする彼女をも、岸本は想像で見ることが出来た。
 月の十日過には、嫂の病気は胸膿《きょうのう》という名がついた。医者の勧めで、適当な病院を択《えら》んで手術をしなければ成るまいとのことで、義雄がその相談に愛宕下へやって来るほどに成った。前の年の暮に露領の方へ行く中根の送別会が駒形《こまがた》の鰻屋《うなぎや》であった折なぞは未だ嫂はピンピンしていた。岸本はそのことを兄の前に言出して見た。
 相談の中途で義雄は声を低くして、
「例の一件で心配させたことが、矢張嘉代の病気に祟《たた》っているかも知れんテ。吾家《うち》の祖母さんもああいう人だから、そう口に出してハッキリとは言わない。ハッキリとは言わないが、年寄は年寄だけに、『郷里の方から出て来なければ、嘉代もこんな病気には成るまい』ぐらいの調子はあるテ」
 つい義雄はそれが口に出るという風であった。その時岸本は以前から懇意な博士の通うある病院を思い出して、その博士とは深い縁故のある田辺の弘(岸本が恩人の子息《むすこ》)からよく話して貰おう、一日も早く嫂が入院のことを取計《とりはから》おうと言出した。彼は弘を見るため
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