フ人として考えもし、取扱ってもやることが、自己を重んじさせることであろうというような考え方と、大人を全能の神のように思わせようとして催眠術をかけて置きたいという考え方と、両立しよう筈《はず》がございません。そしてその催眠術を廃するには、わたしはあまりに根深く所謂《いわゆる》罪人でございましたのね。それにもう一つは、叔父さんからお預りした幼い人達なり、自分の弟なりで、真実の親子でなければ通じないようなところが無いでもございませんでした。これは自分のものだから、他《ひと》のだから、などというそんな考えからでなく、どうすることも出来ないものだろうかとも思います。――今の叔父さんは随分お骨の折れることと思います。けれども、それは一歩《ひとあし》ごとにお互いの心が近づいて行くことなのでございますから、子供の上にもしばらくの動揺はありましょうとも、きっと心からの感謝と信頼の情とをもって、向日葵《ひまわり》の花のように光のなかにあゆむことが出来ると堅く信じます。そう云うものを持つことの出来る方を御羨《おうらや》ましくも思います……」
節子はこういう手紙を愛宕下の宿|宛《あて》に送ってよこした。彼女は自己《おのれ》の失敗を語ることによって、男の手一つに子供を育てて行こうとする岸本を慰めてよこした。
岸本がこの手紙を受取ったのはもう大分下宿に沈着《おちつ》いた頃であった。何故彼が好んでこんな生活を始めたか、その深い事情は節子一人より他に知るものが無かった。幾度《いくたび》となく彼は義雄兄の前に、この下宿まで辿《たど》り着いた自分の道筋を――節子と自分との一切の関係を打明けようと思い立たないでは無かった。
「お前達は叔父と姪《めい》ではないか。お前達の為《す》ることは結局不徳の継続ではないか」
兄の答えを想像するとこの言葉に尽きていた。そう思う度に岸本は嘆息して、持前の沈黙に帰って行った。
八十七
愛宕下の下宿には何一つ岸本が巴里《パリ》の下宿生活を偲《しの》ばせるような似よりのものは無かった。プラタアヌの並木の映る窓のかわりに、ここには庭の青い松葉なぞの見える障子がある。モン・パルナッス通いの電車の音や大きな荷馬車の音やその他石造の街路から窓の硝子《ガラス》に伝わって来る恐ろしい町の響のかわりに、ここには町中と言っても静かな母屋《おもや》の二階と階下《した
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