蛯ネ墓石の並び立つ別の光景《ありさま》がまたその小山の上に展《ひら》けた。そこには全く世間というものから離れたかのような静かさがあった。底青い空の方から射《さ》して来ている四月はじめの日の光が二人の眼前《めのまえ》に落ちていた。岸本は自分の右の手を節子の左の手につなぎ合せて、日のあたった墓石の間を極く静かに歩いた。あだかも、この世ならぬ夫婦のような親しみが黙し勝ちに歩いている節子の手を通して岸本の胸に伝わって来た。
しかしこのはかない幻のような心持は直ぐに破れた。丁度その小山の上あたりは品川の電車路から高輪へ通う人達の通路に当っていた。節子は元来た道の方へ石段を降りかけようとしたところで、傾斜の半途に蔭の落ちている常磐木《ときわぎ》の間を通して、逸早《いちはや》く向うの方から歩いて来る人の影を見つけた。そして岸本の側から離れた。
「向うへ行こう。お墓に腰でも掛けて話そう」
と岸本は言って、節子と一緒にその石段を降りた。
七十八
「どうして俺は自分の姪なぞにお前のような人を見つけたろう。何故もっと他の人にお前を見つけなかったろう」
岸本は元来た墓地の一区域へ引返して行ってから節子にそれを言出した。節子は墓の隅《すみ》に小さな※[#「巾+白」、第4水準2−8−83]子《ハンケチ》を敷いて、例の灰色のコートのままその石の上に腰掛けた。
「でも、よくこんなに見つかったものですね」と節子が言った。
「矢張、苦しんだ揚句だから見つかったんだね。さもなかったら、こんな不思議なところへは出て来なかったかも知れない」
その時ほど岸本は節子と二人ぎりでのびのびと屋外《そと》の空気を呼吸したり青空を楽んだりするような位置に自分を見出したことは無かった。節子はまた、仮令《たとえ》僅《わずか》の時でもそれを自分等二人のものとして並び腰掛けながら送ることを楽みに思うという風であった。
「そうそうお前に聞いて見ようと思うことがあった」と岸本は言った。「お前からくれた手紙の中に――ほら、何もかも話せる時が来たなんて――お前は俺に書いてよこしたことが有ったろう。こんなに早くその時が来ようとは思わなかった、すくなくも二三年は待たなければ成らないかと思ったなんて――もしあの時、俺が結婚したら、お前はどうするつもりだったのかね。俺は自分でも結婚するつもりだったし、お前にも結婚を
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