P子と一緒によく以前の家の方へ遊びに来た学校時代――彼女の女らしい生涯が今のように開けて来ようとは全く岸本には想像もつかなかった。彼は節子が長い長い沈黙から――彼女自身の言草《いいぐさ》ではないが、まるで口業《くごう》でも修めていたかのような沈黙から動き変って来て、今までめったにそんなものを作ったところを見たことも無いような人が自分にくれる手紙のような歌などを書いてよこしたということをめずらしく思った。彼は節子の歌を繰返して、かずかずの言葉のかげに隠された女らしい心持を想像して見た。彼女が世の幸福を捨てても岸本に随《したが》おうとしているのは、鴛鴦《おし》の契りも羨《うらや》ましくないと彼女の歌に言いあらわしてある通りだ。彼女は結婚を断念してかかっているのだ。最初からもう岸本は彼女の自由には成らないのだ。彼女の生んだ子供まで彼女の自由には成らないのだ。この世に何物をも所有することの出来ないのが彼女の愛だ。その心持から、岸本は彼女が覚束《おぼつか》ないながらも宗教へと辿《たど》り行こうとしていることを考えて、言いあらわしようの無いあわれさを覚えた。
「お前は節子をああして置いて可哀そうだとは思わないか。彼女の青春もやがて過ぎ行こうとしているではないか」
 どうかするとこういう声が来て岸本を試みないではなかった。けれども、「わたしどもは幸福でございますね」というその当人をどうしよう。もとより彼は甘んじて節子を自分の肩に負おうとするほど罪過の深さを感ずるものだ。長い間の苦悩からどうにかこうにか彼女を救い出すことが出来て、彼女を幸福にすることが出来るなら、それ以上の運命を弱い人間の力でどうすることが出来よう。
 岸本は自分の生命《いのち》がしきりに彼女に向ってそそぎつつあるのを感じていた。彼は趣味に於《お》いても不思議なくらい節子と一致していた。彼女の髪、彼女の着物なぞは誰のにも勝《まさ》って彼の好みに合った。彼はあの弟子であり尼僧《あまさん》であり情人であったというエロイズをアベラアルの一生に結びつけて想像し、多くの名高い僧侶《ぼうさん》達の生涯にも断ちがたい愛着のくるしみのあったことを想像し、一切を所有してしかも何物をも所有しなかった人達の悲哀《かなしみ》を想像し、その想像を「捨てはてゝ身はなきものと思へども――」と歌った昔の人のパッションにまで持って行って見た。

 
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