tかとぞ見る
 いくたびか思ひ捨つれどいかにせん我がものにしてわれならぬ子を
 あどけなく緋鯉《ひごひ》のむれにたはむるゝいぢらしきさま眼《ま》のあたり見ゆ
 春のひかり満ちわたりたる大空をうらやましくもかける鳶《とび》かな
 隠れたるを見たまふ父の日ひと日いや親しくもなりまさるかな
 いと高きみ手にすがりて今日もまた涙ぐましく暮れにけるかな
 うたかたのあとなきものを人の世になに求めてか生きんとすらむ
 もしほぐさ昔の人を忍ぶにもしのぶにあまるこゝちこそすれ」
[#ここで字下げ終わり]

 節子はこれを小さな手帳の中に書きつけて来て岸本の許に置いて行った。彼女は唯岸本に見せるためにのみこういう歌をつくって来た。岸本がこれを手にしたのは、あの旧《もと》の新橋停車場から遠い旅に上った三月の二十五日という日も近づいて来た頃であった。間もなく節子は谷中の方から次のような手紙をも送ってよこした。
「先日はおいそがしいところを失礼いたしました。もう御仕事もお済みに成りましたか。先日は未《ま》だかと思いましたので御伺い致すのをやめにしようかと考えましたり、持って参りました歌も御仕事が未だでしたら御目に掛けないで持って帰ろうかとぞんじておりましたのに、御邪魔に成るようなことはなかったかしらと心配してしまいましたのよ。もしそうでしたら御免なさい。これからもそういうような場合もございましたら、そう仰《おっしゃ》ってさえ下されば、どんな我慢も致しましょう……最早《もう》二十五日も近くなって参りましたね。何という大きな相違でございましょう。汽車のひびきの聞えなくなってしまってからも、何時までも同じところに立ちつくしたあの時のことを思いますと、夢のような心持も致します……わたしどもは幸福でございますね。あの頂いたルウソオの懺悔録《ざんげろく》の中に、真の幸福は述べられるもので無い、唯感ぜられる、そして述べ得られないだけそれだけよく感ぜられるというところが御座いますね。ほんとにそうでございますね」

        七十六

 日に日に延びて行く優しい女性の姿が岸本の眼にあった。以前に思い比べると、今彼の眼にある節子は殆《ほとん》ど別の人のように延びて来た。彼は極く若かった頃からの節子のことをいろいろと胸に浮べて見た。郷里の方から東京へ出て来たばかりの十五六歳の頃、まだ短い着物なぞを着て姉の
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