ゥたら急に悲しく成って来た、何も知らないあんな幼いものが泣いて別れて行った時のことを思出した、と書いてよこした。忍ぼうとすればするほど意地の悪い涙が後から後から流れて来て、終《しまい》には御不興を受けたようであったが、どうぞすべての失礼を許してくれ、母としての自分の切な心を汲《く》んでくれ、と書いてよこした。節子が自分の生んだ子供を思う心を直接に岸本に打明けたのは、それが初てであった。彼女は手紙の中の宛名《あてな》をも今までのように「叔父さん」とは書かないで、「捨吉様」と書くほどの親しみを見せるように成った。同族の関係なぞは最早この世の符牒《ふちょう》であるかのように見えて来た。残るものは唯、人と人との真実があるばかりのように成って来た。
七十五
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「恋ふまじきおきてもあらで我が歩むこゝろの御国《みくに》安くもあるかな
かゞやける道あゆみ行く二人なり鴛鴦《をし》のちぎりもなど羨《うらや》まむ
我がをしへしのぶにいともふさはしき春さめそゝぐ夕ぐれの窓
夕ぐれの窓によりては君おもふわれにも似たる春のあめかな
君をおもひ子を思ひては春の夜のゆめものどかにむすばざりけり
いくとせか別れうらみし我身にもまたとこしへの春は来にけり
萌《も》えいでし若葉にそゝぐ春さめをかなしきものと思ひ初《そ》めけり
君まさむ船路はるかにしのびつゝ聞きし雨ともおもほへぬかな
春さめにあかき椿《つばき》の花ちりて主なき家はさびしかりけり
はる/″\と空ながめつゝ君こひしその日おもへば胸せまるかな
ゆめさめて夜ふかくひとり君おもふまくらべちかき春のあめかな
いかならむ道行き衣ぬぎ捨てゝなれしあめ聞くはるのよひ/\
ものまなぶ我にさゝやく春さめは君がもとにも斯《か》くやありなむ
春さめもいとはで濡《ぬ》るゝ二羽のとりつばさならぶもうれしとは見ぬ
君やこし我や行きけむさゝやきのゆめうつゝともわかちかねたる
いにしへをひとりしかたる糸萩《いとはぎ》も笑《ゑ》ましげにこそ萌えいでにけれ
我がうでに眠りはすれど宵々をもの言はぬ子の淋しくもあるかな
かゞやけるひとみもあらぬかたにのみうるほふ涙しるや知らずや
君はまだ筆やはしらせたまふらむ閨《ねや》のうちなる我身はづかし
みちのべにさゝ紅梅《こうばい》もいとし子が夢にほゝゑむ唇《くち
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