ヘどんなに嬉しかろう」
 こう節子はその手帳のはじめに鉛筆で書きつけて、それから難破船の乗組員という心持が随分長く続いたが、今はもう自分の多病なことも何もかも忘れて君と共に生きたいと思うと書いてあった。彼女はまた昔の人の遺《のこ》した歌になぞらえて、上野の杜《もり》にからすの啼《な》かない日はあっても君を恋しく思わない日はないとも書いてあった。

        七十三

 三月に入って、根岸の姪からは大阪の方へ移り住もうとしているという通知があった。まだ岸本は書きかけた旅行記の一部を急いでいる頃であったが、暇乞《いとまご》いかたがた訪ねて来た愛子を高輪の家に迎えた。夫に随《つ》いて根岸を去ろうとしていた愛子は、しばらく東京もお名残《なご》りだという風で台湾の方にある両親(岸本の長兄夫婦)の噂《うわさ》や、露領の方にある輝子(節子の姉)の噂などから、義雄叔父の家の人達の噂に移って、節子に就《つ》いてもこんな噂をした。
「節ちゃんも大違いに成りましたねえ――こないだは根岸の方へ訪ねて来てくれまして、二人でしばらく話しましたっけが。なんですか、前から比べると逢って見てもずっと気持の好い人に成りましたよ」
 岸本は愛子の口から――節子から言えば年長《としうえ》の従姉妹《いとこ》にあたる「根岸の姉さん」の口から、こうした噂を聞くように成ったことを楽しく考えた。それに岸本はこの根岸の姪に自分の末の女の児を頼んであった。愛子の大阪行には種々《いろいろ》な話が出た。
「お前に見せるものがある」
 と岸本は言って、部屋の隅《すみ》に置いてある新しい三本立の本箱を愛子に指《さ》して見せた。本箱とは言っても、三つを一緒に寄せて見たところは書棚《しょだな》ぐらいの大きさがあった。それは彼が巴里から持って帰った荷造りの箱板を材料にした旅の記念で、蓋《ふた》だけを別の檜木《ひのき》の板で造らせたものであった。
「あの本箱の蓋の裏へお前に何か描いて貰いたい。しばらくお前の画も見ない。大阪へ行く前に、桃の花でも描いて置いてってくれないか。そのつもりで俺はあの真中の板をあけて置いた」
 と復《ま》た岸本は言って三尺ばかり長さのある三枚の蓋を裏返しにして、それを愛子の前に並べた。身のまわりの人に頼んで一筆ずつ書いて貰ったものがその蓋の左右にあった。岸本は左の板の方に特色のある細い女らしい筆で芭蕉《ば
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