o来ない。つくづく私は自分の心の内部《なか》の景色だと思って、あの行く人も稀《まれ》な雪の道を眺《なが》めたことを思出すことも出来る。時々眠くなるような眩暈《めまい》、何処かそこへ倒れかかりそうな息苦しさ、未だ曾て経験したことのない戦慄、もうすこしで私は死ぬかと思ったあの際涯《はてし》の無い白い海を思出すことも出来る。丁度、私が遁《のが》れて来た世界とは、ああいう眩暈《めまい》と戦慄《みぶるい》との出るような寂寞《せきばく》の世界だ。そこにあるものは降りつもる『生』の白雪だ。そこはまるで氷の世界だ。氷の海だ。そして私はその氷の海に溺《おぼ》れた。七年の小楼の生活よ、さらば……」
 現実を厭《いと》い果てるように成ったものが悲痛な心で堕《お》ちて行ったデカダンの生活の底こそは、彼の遁れて行こうとした氷の世界であったのである。

        七十二

 岸本が浅草時代の終にあたる自分の生活をデカダンの生活として考えるように成ったのも、あたかもその生活の中に咲いた罪の華《はな》のように節子を考えるように成ったのも、それは彼が遠い旅に出てからずっと後のことであった。
「人はいかなるものをも弄《もてあそ》ぶように成る」
 これは彼があの浅草の二階である人に書いて送った短い感想であったが、そういう言葉が自分の口から出るほどもう心の毒の廻った時でも、多くの結婚生活が男女夫婦の堕落に終らないとはどうして言えようと考えるほど、それほど女というものの考え方なぞが崩《くず》れて行った時でも、冷然として自己の破壊に対する傷《いたま》しい観察者の運命に想い到った時でも、猶《なお》彼はデカダンとして自分を考えたくないと思っていた。彼は梟《ふくろ》のように眼ばかりを光らせて寂寞と悲痛の底に震えてはいられなかった。それを自分の運命の究極とはどうしても考えたくなかった。「死」を水先案内と呼びかけた人のような熱意を振い興《おこ》して、この人生の航海に何かもっと新しいものを探り求めずにはいられなかった。
 旅行記の一部を書き始めて見ると、あの旅に出る頃のいろいろな出来事の記憶や、いろいろな心の経験の記憶が、後からそれを辿って見たいろいろな心持と一緒に成って岸本の胸に帰って来た。ああいう淀《よど》み果てた生活を押し進めて行ったら、仮令《たとえ》節子のことが起って来なくとも、早晩海の外へでも逃《のが》れ
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