セ。光と熱と夢の無い眠《ねむり》の願い、と言った人もある。こういう言葉を聞いて笑う人もあるだろうか。もしこれが唯《ただ》の想像の美しい言い廻しでなく、実際この面白そうなことで充《み》たされている世の中に、光と、熱と、夢の無い眠より外に願わしいことも無いとしたら、どんなものだろう。丁度私はそれに似た名状しがたい心持で、二週間ばかり床の上に震えていたこともある。過ぐる年の冬の寒さも矢張りこの神経痛を引出した。私が静坐する習癖は――実は私はそれでもって自分の健康を保つと考えているのだが、それが反《かえ》ってこうした疼痛《とうつう》を引起すように成ったのかも知れない。それに饒舌《おしゃべり》が煩《うるさ》くて、月に三四度ずつは必ず頼んだ按摩《あんま》も廃《や》めた。私は自分の身体《からだ》が自然と回復するのを待つより外に無かった。はかばかしい治療の方法も無いと言うのだから。私は眠られるだけ眠ろうとした。ある時は酣酔《かんすい》した人のように、一日も二日も眠り続けた。我等の肉体はある意味から言えば絶えず病みつつあるのかも知れない。それを忘れていられるほど平素あまり寝たことの無い私は、こういう場合に自分で自分の身体を持てあました。ある時はもっと重い病でも待受けるような心持で、床の上に眼が覚《さ》めることがあった。不思議な戦慄《せんりつ》が私の全身に伝わった。それが障子の外に起る町の響か、普通の人の感じないような極く軽いかすかな地震か、それとも自分の身体の震えか、殆《ほとん》ど差別のつかないものであった……多くの悲痛、厭悪《えんお》、畏怖《いふ》、艱難《かんなん》なる労苦、及び戦慄は、私の記憶に上るばかりでなく、私の全身に上った――私の腰にも、私の肩にまでも……いかなる苦痛もそれが自己のものであれば尊いような気もする。すくなくも人は他人の歓楽にも勝《まさ》って自己の苦痛を誇りとしたいものである。しかし私は深夜独り床上に坐して苦痛を苦痛と感ずる時、それが麻痺《まひ》して自ら知らざる状態にあるよりは一層多く生くる時なるを感ずる度に、かくも果しなく人間の苦痛が続くかということを思わずにはいられない……曾《かつ》て私は山から東京へ家を移す前に、志賀の山村の友を訪《たず》ねようとして雪道を辿《たど》ったことがある。私は身体の関節の一つ一つが凍りつくほどの思いをしたあの時の寒さを忘れることが
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