Kの部屋々々を見て歩くことも、岸本に取って楽しかった。義雄の部屋には炬燵《こたつ》も置いてあった。高輪から持って来た小机なぞが片隅《かたすみ》の方に役に立っていた。
「捨吉。それじゃ俺はこれから一寸《ちょっと》用達《ようたし》に行って来るがナア、夕飯までには必ず帰る」と言って義雄は階下《した》へ聞えるような手を鳴らして、「まあ、お茶でも一つ飲んで行くか」
次郎がそこへ顔を出した。義雄は早く茶道具を運んで来るようにと母親に告げることを次郎にいいつけた。
「時に、節ちゃんもいろいろ御世話さま」と義雄が言った。「こないだは又、お前のところから机と言海《げんかい》を買うお金を貰《もら》って来たと言って、や、面白い机が出来たぞ。言海はこりゃ無くちゃならないものだ。机だっても読んだり書いたりするものには必要だが、しかしあの机は俺の家にはすこし過ぎたものサ」
「欲しいと思ったら買わずにはいられなくなるんでしょう。あそこがまだ節ちゃんの若いところですね」
こう岸本は節子を弁護するように言って笑った。彼は節子の部屋の方で、兄の話に上った新しい机を見て置いた。彼の心の中では、義雄の非難も無理もないと思ったが。
「それはそうと、お前の家でも高輪に居据りだね。今のままでは到底|不可《いかん》ぞ。久米さんだってもそう長く頼んで置く訳には行くまい」
「まあ当分は現状維持です。行くか行かないか、あれで暫時《しばらく》やって見ます。祖母さんでも居て下さらなけりゃ到底私の家は成立ちませんが、お蔭で祖母さんもよくやってくれますし、それに久米さんもなかなかよく働いてくれます。一体、あの人は長いこと病身でしたから、どうかとは思いましたが、すこし無理でも何でもああいう家の事情をよく知ってる人に頼みたいと思うんです。なにしろ私の家には子供が有りますからね」
「早くまあお前も家庭をつくるが可い。根岸の方の話は到頭断ったそうだね。こないだお愛ちゃんのところでその話があったよ。熟考の上で御断りすると、叔父さんから手紙が来たとかッて。お愛ちゃんのお友達という人の写真は俺も見た。なかなか良さそうな人だがナア」
義雄の話は結局弟に再婚を勧めることに落ちて行った。岸本は黙ってしまった。
「や。こんなに話し込むんじゃ無かった。磯部でゆっくり話せることだ」
と義雄は思いついたように懐中時計を出して見て、嫂が階下《した》
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