る。彼はまた、巴里の下宿の方で彼女の手紙を読む度《たび》に、どうしてあれほどの深傷《ふかで》を負わせられた人がかくも悔恨を知らないだろうと不思議に思い思いしたその自分の心持を思出すことが出来る。若い時代の娘の心をもって生れて来た彼女のような人が非常に年齢《とし》の違った自分のようなものに対《むか》って、彼女の小さな胸をひろげて見せるような、そんなことが有り得るであろうかと思い思いしたその自分の心持をも思出すことが出来る。彼はその疑問を彼女の母性にまで持って行って、それによって彼女が不義の観念を打消そうとしているのではないかと疑って見たことをも思出すことが出来る。この一切の疑問が漸く解けかかって来た。
五十五
その時になって、仮令《たとえ》誰には赦《ゆる》されなくとも、岸本はあの不幸な姪だけには赦されたことを悟るように成った。彼は節子に対する自分の誠実《まこと》を意識すればするほど、長い間の罪過の苦痛から脱却して行かれるばかりでなく、あれほど身を羞《は》じた一生の失敗をも、我と我身を殺そうとまでした不徳をも、どうやらそれを全く別の意味のものに変えることが出来るような、その人生の不思議に行って衝当《つきあた》った。
巴里に在留した岡のことが、あの画家がよく産科病院前の下宿へ来ては置いて行った話なぞが、自然と岸本の胸に浮んで来た。旅の空で意中の人の話に熱するあの血気さかんな画家の顔などを見る度に岸本は自分の身に思い比べ、最早《もはや》そういう血の湧《わ》く時代が自分には過去ったことを思い、最早自分の情熱を寄すべき人にも逢《あ》わず仕舞にこの世を歩いて行く旅人であろうかと思い、何とも言って見ようの無い寂しさがそこから浮んで来たことを思い出した。未《ま》だ自分は愛することが出来る。そう考えた時は、彼はある深い喜びと驚きとに打たれた。
岸本はもう甘んじて節子を負おうとする人であった。彼は何等《なんら》の家庭的な幸福を節子と共に享《う》け得るではなし、そのために自分の子供を仕合せにする何等の希望をも繋《つな》ぐことは出来なかったけれども、唯彼女を助け、彼女を保護することを何よりの楽みとして、二人の間の新しい心に生きようとした。
こうした心持で、岸本は祖母さんや久米や女中を頼りに自分の子供を育てにかかった。彼は既に例の二階の方の仮の書斎を引払って来て、
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