翌フ一生を叔父に託してまでも不思議な運命を共にしようと言うならば、彼は再婚の生活なぞを断念しようとさえ考えて来た。それには彼はもっともっと節子を生かしたいと思った。
 どういう生涯がこうした二人の前に展《ひら》けて行くだろう。もしこれを押し進めて行ったら終《しまい》にはどうなるというようなことは、岸本には考えられなかった。唯《ただ》、彼はもう一度待受けようとする夜明のために、今まで二人で真暗なところを歩きつづけて来たような不幸な姪を道連として、せっせと支度を始めたことだけを感じていた。
 旅から岸本が持って来た書籍の中には、ロセッチの画集も入っていた。それは彼が巴里の下宿に居た頃、ルュキサンブウルの公園の近くにある文房具屋で見つけて来たものであった。アーサア・シモンズの序文の仏訳までも添えてあった。その画集の中にある「ダンテの夢」と題したのは、版としても好ましく出来ていて、豊国の筆に成った田舎源氏《いなかげんじ》の男女の姿を見るとは別の世界の存在を節子に示すであろうと思われた。岸本はその一枚を節子の手箱の底に置いて考えるのも楽しみに思った。
 丁度義雄兄の方でも弟と住居《すまい》を別にしようという問題が実際に持上って来た頃であった。岸本は旅の記念の画を白い紙に包んで、家の方へ行った序《ついで》に節子に送った。その画の裏には次のような文句をも認《したた》めて置いた。
「最後まで忍ぶ者は救わるべし」

        五十

 間もなく岸本兄弟の家族は別れ住もうとする動きの渦の中にあるように成った。新しい住居を見つけて分れて行こうとする兄。しばらく高輪《たかなわ》に居残って跡始末をしようとする弟。岸本は長いこと子供の世話に成った礼の心ばかりに、兄から見せられた書付を引受け、移転に要する費用や当分兄の家族の暮せるだけのものを義雄に贈った。
 何もかも動いて来た。毎日のように義雄は新しい住居を探しに出るように成った。嫂をはじめ節子から子供まで動いて来た。岸本自身も動いて来た。節子と同じ屋根の下に暮して見た四月余りは短かかったと言え、可成《かなり》岸本の心持を変えた。曾《かつ》て憎悪《にくみ》をもって女性に対した時のような、畏怖《いふ》も戦慄《せんりつ》も最早同じ姪から起って来なかった。彼は下手《へた》に節子を避けようとするよりも、そこまで哀憐《あわれみ》を持って行ったことか
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