B神戸からの帰京の途次訪ねる筈《はず》であった大阪の方の人の話はその後|何等《なんら》の手掛りもなかったが、しかし彼の帰国はその他にも適当な候補者を与えられそうに見えた。現に根岸の姪《めい》(愛子)の以前師事した校長先生という人からも、縁談に関した手紙を貰った。校長先生の筆で、是非彼に勧めたい人があると言って、先方《さき》でもこの話の成立つことをひどく希望していると書いてよこしてくれた。委細は根岸に聞いて見てくれ、世話したいと思う人と愛子とは同期の卒業生であるとも書いてよこしてくれた。
 この縁談には岸本の心はやや動いた。相手は全く見ず識《し》らずの婦人ではあったが、日頃近い根岸の姪を通して先方《さき》の人となりや周囲の事情を知り得るという何よりの好い手掛りがあった。ともかくも根岸によく相談して見るという礼手紙を校長先生|宛《あて》に出して置いて、彼は愛子から来る報告を待った。
 岸本の頭脳《あたま》の内《なか》はシーンとして来た。二度結ばれるように成った節子との関係は彼自身の腑甲斐《ふがい》なさを思わせた。けれども彼は眼前にある事柄にのみ囚《とら》われないで、進路を切開かねば成らないと思った――節子のためにも、彼自身のためにも。

        四十一

 根岸の姪からは間もなく委《くわ》しいことを知らせてよこした。愛子は彼女の学友に就《つ》いて、岸本の方で知りたいと思うようなことは一々女らしい観察を書いてよこした。その人の生立《おいた》ちに就て。その人の気質に就て。長く東京に住んで見たものでなければ一寸《ちょっと》思い当らないようなその人の江戸風で平和な家庭に就て。愛子は学友の容貌《ようぼう》のことまで書いて、その点で特に取立てて言うほどの人では無いが、しかし細君としては定めし意気で温順《おとな》しい人が出来るであろうし、母親としては叔母さんの子供を好く見てくれるであろう。第一子供をいじめるほどの強い人では無いと書いてよこした。愛子はまた、平常を熟知する学友と彼女との間が近過ぎるため、あまりに多くを言って見る気には成れないが、しかし叔父さんの心がすすんでいるならばこの縁談に賛成することを躊躇《ちゅうちょ》しないと書いてよこした。彼女としても、旧《ふる》い馴染《なじみ》の学友が叔父さんの家庭に入ることを楽しみに思うとも書いてよこした。
 ここまで話が実際に形を具
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