スようなものですよ――」
牧野は思出したように、折に触れてそれを岸本に言った。船は定期の客船としてより寧《むし》ろ戦時に際しての貨物船と言うべき形で、三方の甲板に分れた客全体の頭数から言っても極《ごく》少い時であった。牧野は岸本が後方の甲板の上に毎日見る唯《ただ》一人の同胞の客で、他はいずれも英吉利人のみであった。それも僅に男女を合せて七人の殖民地行の旅行者を数えるに過ぎなかった。それほど航海するものに取って寂しい時であった。岸本は唯一人の自分をその広い甲板に見つけるようなこともよくあった。そういう時に限って、人には言えない悲しい嵐《あらし》の記憶が、あの仏国汽船で港から港へと波の上を急いだ往きの旅の記憶が、節子のことを義雄兄に頼んで行くつもりの手紙が神戸で書けず上海《シャンハイ》でも書けず香港《ホンコン》まで行く途中に漸《ようや》く書いて置いて行ったような心の経験の記憶が、それらの記憶があだかも昨日のことのように彼の胸の中《うち》に帰って来た。眼前には長い廊下のように続いた板敷がある。白く塗った通風筒がある。柱がある。碇綱《いかりづな》を巻くための鉄製の器具がある。甲板の欄の線と交叉《こうさ》して、上になり下になりして見える遠い水平線がある。日でもかがやいて来ると、譬《たと》えようの無い青さに光る海がある。すべては曾《かつ》て有ったと似よりのもののみだ。岸本は太い綱や船具の積重ねてある側を通って、艫《とも》のところへもよく行って立って見た。水深を測量するための器械が装置してある艫の欄の側《わき》から波間に投入れてある一条の長く細い綱の絶間なくクルクル廻るのを眺めると、独りで故国の空を後方に望んで来た往きの航海の記憶がまた胸に浮んで来た。彼は、眼に見えない烈《はげ》しい力の動いて行った迹《あと》でも辿《たど》るようにして、自分の小さな智慧《ちえ》や力でそれをどうすることも出来なかったことを考えて見た時は、もう一度この甲板の上に立たせられた自分そのものを不思議にさえ思った。
船は次第に葡萄牙《ポルトガル》南端の沖合からも遠ざかりつつあった。往きのスエズ経由とも違い、この還《かえ》りの船旅は遠く南亜弗利加の果を廻り、赤道を二度も越さねば成らない。その海上から喜望峯まで五千四百|浬《マイル》以上もあった。
十三
五十五日の長い船旅の後、四月の末に
前へ
次へ
全377ページ中197ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
島崎 藤村 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング