ゥった。欧羅巴《ヨーロッパ》の戦争はまだ続いていて、下宿と同番地の家番《やばん》の亭主などは出征したぎり、稀《たま》に戦地の方から休暇を貰《もら》って帰って来て顔を見せるくらいのものであったが、そこに留守居する家番のかみさんの子供等は驚くほど大きく成った。階段の昇降《あがりおり》に、岸本はそこいらに遊び戯れている仏蘭西の子供等の側《そば》へよく行った。皆が幾歳《いくつ》になるかということをよく尋ねた。黒い上衣《うわぎ》に短い半ズボンを穿《は》いて脛《すね》をあらわした仏蘭西風の子供の風俗は、国の方で見るものとは似てもつかないようなものばかりだ。でも岸本は側へ来る子供の青い眸《ひとみ》なぞに見入って、国の方に自分を待つ泉太や繁の成長を想像した。これから彼が帰って行って見る泉太はもう十二歳、繁の方は十歳にも成る。
国を出る時子供を頼んで置いて来た節子のことも、泉太や繁の成長を想像すると同時に、岸本の胸に浮んで来た。下宿の主婦《かみさん》の姪《めい》という人は、可哀そうにあの人の婚約して置いた末《すえ》頼もしい仏蘭西人も戦地の方へ行って死んだとやらで、今ではリモオジュの田舎《いなか》の方に帰っているが、あの主婦の姪が丁度節子と同年だ。彼女は気味の悪いほど赤く縮れた髪をもった、巌畳《がんじょう》な体格の女で、リモオジュから主婦の手伝いに巴里へ出て来たばかりの頃《ころ》はいかにも田舎臭い娘であったが、その人がもう一度田舎の方へ帰って行く頃には見違えるほど巴里の風俗を学んで、働き好きな娘らしい手なぞにもさすがに若い女のさかりを思わせるものがあった。背は主婦よりも高かった。この人を通して岸本はよく自分の姪の成長を想像した。若い娘のようにばかり思っていた節子がもう二十四だ。
節子からの便《たよ》りは岸本が下宿を引揚げる前に届いた。彼女はつつましやかな調子で、叔父さんのために帰国の旅の無事を祈るということや、留守宅の子供も極く丈夫で叔父さんの帰りを待侘《まちわ》びているということや、しかし叔父さんが遠からず国に帰ってこの留守宅の様子を見たらどう思うであろうか、それが気遣《きづか》われるということなぞを書いてよこした。
「力強い御留守居も出来ないで、ほんとに御免なさいね」
こんな言葉もその中に書いてあった。
最早|一頃《ひところ》のように恐ろしく神経の尖《とが》った、可傷《いた
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