Sく考えられもしなかった。ひょっとすると神戸の港も見納めだ。そう思って出て来た国の方へもう一度足を向けようとすることは、いかにもおめおめと帰って行くような気を起させる。けれども戦時以来旅の方法も尽きて来て、この上の滞在は人に心配を掛けるばかりであったし、国の方に残して置いて来た子供等のこともひどく心に掛った。それに抑制と忍耐との三年近い苦行(?)をまがりなりにも守りつづけて来たことは多少なりとも彼の旅の心を軽くした。彼は出獄の日を待受ける囚人のようにして、もう一度国の方に自分の子供等を見得るの日を待受けた。そろそろ遠い旅支度《たびじたく》をも心掛けねば成らなかった。鞄《かばん》に入れて国から持って来た和服の中には、部屋衣《へやぎ》としてよく取出して着た羽織や着物がある。その中には、亡《な》くなってからもう何年になるかと思われるほどの妻の園子の形見として残った一枚の下着もある。その下着の紺絹のついた裏なぞはすっかり擦切《すりき》れてしまった。巴里に滞在中、東京の元園町の友人の家からわざわざ送り届けてくれた褞袍《どてら》は随分役に立って、長い冬の夜なぞは洋服の上にそれを重ね寛濶《かんかつ》な和服の着心地《きごこち》を楽みながら机に対《むか》ったものであったが、その丈夫な褞袍ですら裾《すそ》から白い綿が見えるほどに成った。秋の末から春のはじめへかけて毎年のように身に着けた背広の服は国の方へ持って行かれないほど着古してしまった。彼は赤い着物でも脱ぎ捨てるように、その古い背広を脱ぎ捨てようとしていた。旅の末には、下宿の部屋の汚《よご》れも眼についた。彼はその長く住慣れた部屋にも別れを告げようとしていた。ある時は眼に見えない牢屋《ろうや》のような思いをしたこともある部屋の石の壁にも。ある時は我と我身を抱き締めるようにして、旅の前途を思い煩《わずら》いながら眺《なが》め入ったこともある部屋の硝子窓《ガラスまど》にも。
「還るのを赦《ゆる》されるのだ」
と彼は自分で自分の帰国のことを言って見た。
二
帰支度をする頃の岸本には、何となく国も遠くなってしまった。彼は三年近くも見ない自分の子供等の急激な成長をどれ程のものともはっきり想像することすら出来なかった。彼の眼にあるは旧《もと》の新橋停車場で別れて来たままの何時《いつ》までも同じように幼い子供等の姿に過ぎな
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