黷スという。そのことは徐氏は手紙でわたしのもとへ書いてよこしてくれ、またその訳書の長い序文のはじにも、「此書因種々事故、遷延甚久。如今以這篇年譜為最後工作。在此※[#「目+分」、第3水準1−88−77]望此書之快成、併敬祝原著者健康。」としてあったのも忘れがたい。
 この『寝覚』第一部の終の方には作中の主人公が亡《な》き父を思うという一節も出て来るが、今日から見るとその父の取扱い方には不充分な点も多い。子として父の俤《おもかげ》を写して見ようとする場合にすらそれだ。まして他の人の俤をやである。それにつけてもつくづく創作の難《むずかし》いことを知る。のみならず自分はまだ血気|壮《さか》んな頃でもあったから、当時深い感慨をもってこの作に筆を執ったので、自分ながら冷静を欠いたと思われるふしもすくなくない。ただただ自分はこれを書くに当って、熱い汗と、冷い汗とを流しつづけた。内容が内容であるだけに、いろいろな問題を引き起したのもまたこの作であった。しかしわたしは多くの場合に黙して来た。自己を反省することの深ければ深いほど、黙しているのが順当であろうと思われたからであった。
 ここに載せる『寝覚』は言わば部分であるが、しかしこれはこれとして、一つの作品とも考えられようかと思う。猶《なお》、いろいろ書きつけて見たいことも多いが、ここに尽せない。
[#改丁、ページの左右中央]

    第二巻

[#改ページ]

        一

 三年近い月日が異郷の旅の間に過ぎた。遠い島にでも流された人のように自分の境涯をよく譬《たと》えて見た岸本は、自分で自分の手錠を解き腰繩《こしなわ》を解く思いをして、侘《わび》しい自責の生活から離れようとしていた。
 帰国の日も近づいて来た。降誕祭《クリスマス》の前には既に来る筈《はず》であったその日も半年ほど延びて、旅で迎える三度目のあの祭と、翌年の正月とをも、岸本は巴里《パリ》の下宿の方で送った。あの仏国汽船でマルセエユの港に辿《たど》り着き、初めて仏蘭西《フランス》の土を踏んで見た頃から数えると、最早《もう》足掛四年にも成る。国を出た当時の彼の決心から言えば、全く後方《うしろ》を振返って見ないで、知らない土地へ行き、知らない人の中へ入り、そして心の悲哀《かなしみ》を忘れようとしたのであって、生きて還《かえ》れる日のあるかどうかと云うようなことは
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