Oにあるプラタアヌの並木はまだまだ冬枯そのままであった。その疎《まばら》な枝と枝の間を通して、千村の旧《ふる》い部屋の窓や、その下の方の珈琲店《コーヒーてん》の暖簾《のれん》や、食事の度《たび》に千村が通って来た町の道路などをよく見ることが出来た。あの人達が去った後でもまだ続いている欧羅巴《ヨーロッパ》の戦争、独《ひと》り見る巴里の三月の日あたり、それらの耳目に触れるものから起って来る感覚は一層岸本の心を居残る旅らしくした。彼はその窓際《まどぎわ》に立って遠く帰って行く旅の人を見送ろうとするかのように、千村の航海を想像した。彼の心は神戸から自分を乗せて駛《はし》って来た仏蘭西船へ行き、あの甲板の上から望んで来た地中海へ行き、紅海へ行き、亜剌比亜《アラビア》海へ行った。恐ろしい永遠の真夏を見るような印度《インド》洋の上へも行った。コロンボ、新嘉坡《シンガポール》、その他東洋の港々の方へも行った。彼は往《ゆ》きと還《かえ》りの船旅を思い比べ、欧羅巴を見た眼でもう一度殖民地を見て行く時の千村を想像し、漠然《ばくぜん》とした不安や驚奇やは減ずるまでも、より豊かな旅の感覚の働きは反《かえ》って還りの航海の方に多かろうと想像した。彼はまた千村が再び母国を見得るの日を思いやって、二年前一切を捨てる思いをして遠く波の上を急いで来た自分の身にも、それと同じような日がいずれは来るように成ったことを不思議にさえ思った。

        百三十

 温暖《あたたか》い雨がポツポツやって来るように成った。来るか来るかと思ってこの雨を待侘《まちわ》びていた心地はなかった。五箇月も前から――旅の冬籠《ふゆごも》りの間――岸本は唯そればかりを待っていたようなものであった。リモオジュの旅以来、彼の周囲には何が有ったろう。仏蘭西国境の山地寄りの方では塹壕《ざんごう》が深く積雪のために埋められたとか、戦線に立つものの霜焼《しもやけ》を救うために毛布を募集するとか、そうした労苦を思いやる市民の心がその日まで続いて来た。彼の耳にする話は一つとして戦争の惨苦を語らないものは無かった。開戦以来、五六十万の仏蘭西人は既に死んでいるとの話もあった。この戦争が終る頃には満足な身体《からだ》で巴里へ帰って来るものは少かろうとの話もあった。彼が町で行き遇《あ》う留守居の子供でも婦女《おんな》でも老人でも、やがて来る春を
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