《たび》に、何時《いつ》でも彼は嘆息してしまった。
岸本の下宿には高瀬という京都大学の助教授が独逸《ドイツ》の方から来て泊っていた。この人の部屋は岸本の部屋と壁|一重《ひとえ》隔てた直《す》ぐ隣りにあった。窓一つあるその部屋へ行って見ると、高いプラタアヌの並木の枝が岸本の部屋で見るよりも近く窓際《まどぎわ》に延びて来ていて、濃い葉の緑は早や七月の来たことを語っていた。
「千村君の居た宿屋が見えますね」
と岸本は思出したように言って、青々とした葉裏から透けて見える向うの旅館の建築物《たてもの》を眺《なが》めた。高瀬を岸本のところへ紹介してよこしたのも同じ大学の教授であった、岸本に取ってはこの下宿の食堂でしばらく食事だけを共にした千村であった。
「千村君も、よくそれでもあんな宿屋に辛抱したと思いますよ」と岸本が言った。「千村君が私にそう言いましたっけ。『あなたの部屋の方は、まだそれでも羨《うらや》ましい。是方《こちら》の窓から見てますと、あなたの部屋の窓には一日日が映《あた》っています』ッて。高い建築物《たてもの》ばかりで出来た町ですから、ああいう日の映らない部屋もあるんですね。ホテルだなんて言うと好さそうですが、実際千村君には御気の毒なようでした」
こう話しているうちに、向うの旅館へ岸本の方から押掛けて行って夜遅くまで互いに旅の思いを比べ合ったり、千村の方からも食事の度にこの下宿へ通って来て話し込んで行ったりした時のことが、岸本の胸に浮《わ》いて来た。
「千村君の居る頃には、懐郷病《ホームシック》の話なぞもよく出ましたっけ。『お前が西洋へ行ったら、必《きっ》と懐郷病に罹《かか》る』と言われて来たなんて、そんな話も有りました」
と復《ま》た岸本が独逸の方に行っている千村の噂《うわさ》をすると、高瀬も何か思い出したように、
「西洋へ来ているもので、多少なりとも懐郷病に罹っていないようなものは有りませんよ」
この高瀬の嘆息は、無暗《むやみ》と強がっているような旅行者の言葉にも勝《まさ》って、なつかしい同胞の声らしく岸本の耳に聞えた。
八十四
高瀬は千村教授と同じように経済の方面で身を立てた少壮な学者であった。岸本が巴里で逢《あ》った頃の千村に比べると、高瀬は独逸の方で散々いろいろな思いをした揚句《あげく》に巴里へ来た人で、それだけあの教授より
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