時は危篤を伝えられたほどで、病中に岸本はビヨンクウルを訪《たず》ねても老婦人には逢わずに帰って来たことも有った。
「仏蘭西へ来て一番最初に逢った老婦人が、一番多く自分のことを考えていてくれる」
 岸本は何かにつけてそれを感じたのであった。
 パントコオトの日も過ぎた頃、岸本は復《ま》たビヨンクウルから手紙を貰った。
 その時はお母さんの手でなくて、書記の手で、二三の親しい友達や親戚《しんせき》のものが茶に集るから、岸本にも出掛けて来るようにと、してあった。
 ベデカの案内記なしにはセエヌ河も下れなかった頃に比べると、ともかくも岸本は水からでも陸からでもビヨンクウルに行かれるまでに旅慣れて来た。彼は好きな仏蘭西人の家族を見る楽みをもって、電車でセエヌ河の岸を乗って行った。書記の家の門前に立って鉄の扉を押すと、例の飼犬が岸本を見つけて飛んで来たが、最早《もう》吠《ほ》えかかりそうな姿勢は全く見せなかった。
 老婦人は草花の咲いた庭に出ていて、家の入口の正面にある広い石階《いしだん》の近くに幾つかの椅子を置き、そこで客を待っていた。その辺には長い腰掛椅子も置いてあった。ところどころに樹の葉の影の落ちている午後の日の映《あた》った庭の内で、岸本は老婦人や細君や茶に招かれて来ている婦人の客などと一緒に成った。仏蘭西の婦人を細君にする露西亜《ロシア》の音楽家という夫婦にも引合わされた。
「私も、もう岸本さんにお目に掛れまいかと思いましたよ。こんなに丈夫に成ろうとは自分ながら夢のようです」
 それを老婦人は岸本に言って聞かせた。
 半死の病床から再び身を起した老婦人が相変らず古風な黒い仏蘭西風の衣裳《いしょう》を着け、まだいくらか自分で自分の年老いた体躯《からだ》をいたわり気味に庭の内を静かに歩いているのを見ることは、岸本に取っても不思議のように思われた。彼はこの老婦人が財産を皆に分けてくれ、遺言《ゆいごん》までもした後で、もう一度丈夫に成ったその手持無沙汰な様子を動作にも言葉にも看《み》て取った。そればかりではない、しばらく話しているうちに、彼はこの家の人達に取ってある真面目《まじめ》な問題が起っていることを知った。

        八十

 仏蘭西を捨てて日本の方へ行ってしまった老婦人の姪の噂が出た。茶の会とは言ってもその日は極く内輪のものだけの集りらしく、紅茶の茶碗《ちゃ
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