をいかにしようかと思い煩った。
「今日まで自分を導いて来た力は、明日も自分を導いてくれるだろうと思う――そんなに心配してくれ給うな」
東京の方のある友人に宛《あ》てて書いたこの言葉を、岸本は下宿に戻ってからも思い出して見た。出来ることなら彼は旅先で適当な職業を見つけたいと願っていた。出来ることなら国の方に残して置いて来た子供等までも引取って異郷に長く暮したいと願っていた。それにはもっと時をかけ好い語学の教師を得て、言葉を学ぶ必要があった。この言葉を学ぶということと、旅先で執れるだけ筆を執って国を出る時に約束して来た仕事を果すということとは、とかく両立しなかった。おまけに手紙の往復にすら多くの月日を要する遠い空にあっては、国の方の事情も通じかねることが多く、ややもすると彼は眼前の旅をすら困難に感じた。
「運命は何処《どこ》まで自分を連れて行くつもりだろう」
こうした疑問は岸本の胸を騒がせた。どうかすると彼は部屋の床の上に跪《ひざまず》き、堅い板敷に額を押宛てるようにして熱い涙を流した。
七十九
知らない人達の中へ行こうとした岸本は一年ばかり経《た》つうちに、ビヨンクウルの書記やブロッスの教授の家族をはじめ、ラペエの河岸《かし》に住む詩人、マダムという町に住む婦人の彫刻家、ベチウスの河岸に住む日本美術の蒐集家《しゅうしゅうか》なぞの家族を知るように成った。しかし何かこう食足りないような外来の旅客としての歯痒《はがゆ》さは土地の人に交れば交るほど岸本の心に附纏《つきまと》った。
六月に入って、岸本はビヨンクウルの書記のお母さんから手紙を貰《もら》った。その中にあの老婦人が長いこと病床にあったことから書出して、定めしあなたのことも忘れていたかのようにあなたには思われようが、決してそうで無い、この御無沙汰《ごぶさた》も自分の病気ゆえであると書いてよこした。次の土曜日の晩には食事に来てくれないか、自分等一同あなたを見たいと書いてよこした。最早あなたも少しは仏蘭西語を話されることと思う、自分の家の嫁は英語を話さず忰《せがれ》もとかく留守勝ちのために、しばしばあなたを御招きすることもしなかったと書いてよこした。東京の姪《めい》からも手紙で、あなたにお目に掛るかとよく尋ねよこすと書いてよこした。老婦人はこの手紙を英語で書いてよこした。あの書記のお母さんは一
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