読む度《たび》に岸本は嘆息してしまって、所詮《しょせん》国へは帰れないという心を深くした。
 旅の空にあって岸本が送ったり迎えたりする同胞も少くはなかった。好い季節につれて、旅から旅へ動こうとする人達の消息を聞くことも多くなった。以太利《イタリー》の旅行を終えて岸本の宿へ土産話《みやげばなし》を置いて行った人には京都大学の考古学専攻の学士がある。これから以太利へ向おうとして心仕度《こころじたく》をしているという便りを独逸《ドイツ》からくれた人には美術史専攻の慶応の留学生がある。セエヌの河岸《かし》にある部屋を去って近く帰朝の途に上ろうとする美術学校の助教授もあり、西伯利亜《シベリア》廻りで新たに巴里《パリ》に着いた二人の画家もあった。
「岸本君が巴里に来られたことを僕はモスコウの方で知りました」
 こう言って旧《ふる》い馴染《なじみ》の顔を岸本の下宿へ見せた一人の客もあった。この客は一二カ月を巴里に送ろうとして来た人であった。
 岡が画室の方から来て部屋に落合ってからは、気の置けないもの同志の旅の話が始まった。何時|逢《あ》って見ても若々しいこの客のような人を異郷の客舎で迎えるということすら、岸本にはめずらしかった。よく身についた紺色の背広の軽々とした旅らしい服装も一層この人を若くして見せた。
「岸本君は巴里へ来て遊びもしないという評判じゃ有りませんか。そんなにしていて君は寂しか有りませんか」
 と客が言って笑った。
「これで岸本さんも万更遊ぶことが嫌《きら》いな方じゃないんだね」と岡は客の話を引取って、「人の行くところへは何処《どこ》へでも行くし、皆で集って話そうじゃないかなんて場合に、徹夜の発起人は何時でも岸本さんだ。『色地蔵』だなんて岸本さんには綽名《あだな》までついてるから可笑《おか》しい。恋の取持なぞは、これで悦《よろこ》んでする方なんだね。そのくせ自分では眺《なが》めてさえいれば可《い》い人だ」
「だけれど、君、旅に来たからと言って、何もそんなに特別な心持に成らなくても可いじゃないか。国に居る時と同じ心持では暮せないものかねえ」と岸本が言出した。

        七十七

 一切のものの競い合う青春が過ぎ去るように、さすがに若々しく見える客も時の力を拒みかねるという風で、さまざまな旅の話に耽《ふけ》ったが、岡と一緒にその人が出て行った後まで種々な心持を
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