結Cさかんな岡の言うことに岸本は賛成してしまった。
 二人の間にはモデルと同棲《どうせい》する美術家達の噂が引出されて行った。旅に来ては仏蘭西の女と一緒に住む同胞も少くはなかった。モデルを職業とする婦人でなしに、あるモジストを相手として楽しく画室|住居《ずまい》するという美術家の噂も出た。
「好い陽気に成ったね」
 と声を掛けて、屋外《そと》の方から入って来た画家があった。
「シモンヌの家へ来たら必《きっ》と岡が居るだろうと思って、寄って見た――果して居た」とその画家が言って笑った。
「僕等はまた、今々君の噂をしていたところだ」と言って岡も元気づいた。
 続いて二三の画家も入って来た。いずれも岸本には見知越《みしりご》しの連中で、襟飾《えりかざり》の結び方からして美術家らしく若々しかった。こうして集って見ると、岸本よりはずっと年少《としした》な岡が在留する美術家仲間では寧《むし》ろ年嵩《としかさ》なくらいであった。
「岡――どうだい」
 最初に入って来た画家が岡を励まし慰めるように言った。にわかに部屋の内は賑《にぎや》かな笑声で満たされるように成った。その画家は岸本の方をも見て、
「岸本君は巴里《パリ》へ来ていながら、ほんとにまだ異人の肌《はだ》も知らないんですか――話せないねえ」
 何を言っても憎めないようなその快活な調子は一同を笑わせた。
「年は取りたくないものだ」
 こう岡が言出したので、復《ま》た皆そりかえって笑った。

        七十一

「岸本君は何をそんなに溜息《ためいき》を吐《つ》いてるんです」
 と画家の中に言出したものが有った。その調子がいかにも可笑《おか》しかったので、復《ま》た皆くすくすやり出した。
「僕は岸本君のためにシャンパンを抜こうと思って待ち構えているんだけれど、何時《いつ》に成ったら飲めることやら見当がつかない」
 と岸本の前に腰掛けていた画家が親しげな調子で言って笑った。この画家なぞは割合に老《ふ》けて見えたが、年を聞くと驚くほど若かった。青年の美術家同志がこうして珈琲店に集っていても、美術に関する話はめったに出なかった。気質を異にし流派を異にする人達は互いに専門的な話頭に触れることを避けようとしていた。話好きな岡が岸本と二人で絵画や彫刻に就《つ》いて語り合うほどのことも、皆の前では持出されなかった。やがて画家の一人が給仕を
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