トんだ。給仕は白い布巾《ふきん》を小脇《こわき》にはさみながら、皆のところへ手摺《てず》れた骨牌《かるた》と骨牌の敷布の汚れたのを持って来た。その骨牌を扇面の形に置いて見せた。各自の得点を記《しる》すための石盤と白墨とをも持って来た。薄暗い部屋の内へ射《さ》し入る日の光は日本人だけ一緒に集った小さな世界を照らして見せた。気の置けない笑声と、静かにけぶる仏蘭西の紙巻|煙草《たばこ》の煙と、無心に打ちおろす骨牌の音のみが、そこに有った。石造の歩道を踏む音をさせて窓の外を往来《ゆきき》する人達も、その珈琲店の店先へ来て珈琲の立飲をして行く近所の家婢《おんな》も、帳場のところへ来て話し込む労働者もしくはお店者風《たなものふう》の仏蘭西人も、奥の部屋に形造った小さな世界とは全く無関係であった。日本人同志が何を話そうと、誰も咎《とが》めるものも無ければ、解《わか》るものも無かった。岸本も骨牌の仲間入をして、一しきり女王や兵隊の絵のついた札なぞを眺《なが》めていたが、そのうちに旅の無聊《ぶりょう》は彼ばかりの激しく感じている苦みでも無いことを思って来た。長い外国の滞在で、骨牌にも飽きた顔付の人が多かった。
やがて岸本はこの珈琲店を出た。彼は巴里へ来てから送っている自分の旅人としての生活を胸に浮べながら下宿の方へ帰って行った。「巴里には何でも有る」とある巴里人が彼に話して笑ったこの大きな都会の享楽の世界へ、連のある度《たび》に彼も出入りして見た。時には異郷のつれづれを慰めようとして、近くにあるビリエーの舞踏場なぞへ足を運ぶこともあり、遠くモン・マルトルの方面へ通りすがりの同胞の客を案内して行くこともあった。東京隅田川の水辺に近い座敷で静な三味線《しゃみせん》を聞くのを楽しみにしたと同じ心持で、巴里の劇場の閉《は》ねる頃から芝居帰りの人達が集まる楼上に西班牙《スペイン》風の踊なぞを見るのを楽みにすることもあった。しかし何が彼をして一切を捨てさせ、友達からも親戚《しんせき》からも自分の子供からも離れさせたか、その事は一日も彼の念頭を去らなかった。
七十二
巴里の最も楽しい時が来た。同じ街路樹でも、真先にこの古めかしい都へ青々とした新しい生気を注ぎ入れるものはマロニエであったが、後《おく》れて萌《も》え出したプラタアヌも芽から葉へと急いで、一日は一日よりその葉が開
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