烽、一度帰って行った。自分と同年配の人を見ると同じ心持で、国から到来した茶でも入れて年下な岡を款待《もてな》そうとしていた。
「僕なぞは君、極楽へ島流しになったようなものです」
と言いながら岸本は椅子を離れた。岸本が極楽と言ったは、学芸を重んずる国という意味を通わせたので。
「極楽へ島流しですか」
と岡も笑出した。
岸本は洗面台の横手にある窓の下へアルコオル・ランプと湯沸《ゆわかし》を取りに行った。それは何処《どこ》かの画室の隅《すみ》に転《ころ》がっていたのを岡が探出して以前に持って来てくれたものであった。留学していた美術家の残して置いて行った形見であった。
「岡君、国から雑誌や新聞が来ましたよ。僕の子供のところからはお清書なぞを送ってよこしました」
「岸本さんは子供は幾人《いくたり》あるんですか」
「四人」
と岸本は言淀《いいよど》んだ。岡はそんなことに頓着《とんじゃく》なく、
「皆東京の方なんですか」
「いえ、二人だけ東京にいます。三番目のやつは郷里《くに》の姉の方に行ってますし、一番末の女の児は常陸《ひたち》の海岸の方へ預けてあります。今生きてるのが、それだけで、僕の子供はもう三人も死んでますよ」
「好い阿父《おとっ》さんの訳だなあ」
ランプに燃えるアルコオルの火を眺めながら、岸本は岡と一緒に国の方の言葉で話をするだけでも、それを楽みに思った。彼の下宿にはヴェルサイユ生れの軍人の子息《むすこ》でソルボンヌの大学へ通っている哲学科の学生と、独逸《ドイツ》人の青年とが泊っていた。同胞を相手に話す時のような気楽さは到底下宿の食堂では味われなかった。岡はまた岸本が勧めた雑誌や新聞を展《ひろ》げて饑《う》え渇《かわ》くようにそれを読もうとした。
六十八
岡は岸本よりも半年ばかり先に巴里へ来た人であった。岸本が旅でこの画家を知るように成ったのは数々の機会からで。ペルランの蔵画を見ようとして一緒に巴里の郊外へ辻馬車《つじばしゃ》を駆《か》った時。マデラインの寺院《おてら》の附近に新画を陳列する美術商店を訪ねた時。テアトルという町での忘年会に二人して過《あやま》って火傷《やけど》をした時。しかし岸本が遽《にわか》に親しみを感じ始めたのは、岡の好きな日本飯屋へ誘われて行って一緒に旅らしく酒を酌《く》みかわした時からであった。その晩から岸本は岡
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