フついたものには、朝から晩まで椅子に腰掛けて暮すということすら一難儀であった。日がな一日彼は真実《ほんとう》の休息を知らなかった。立ちつづけに立っているような気がした。日本の畳の上で思うさまこの身体を横にして見たら。この考えは、どうかすると子供のように泣きたく成るような心をさえ彼に起させた。彼は長い船旅で、日に焼け、熱に蒸され、汐風《しおかぜ》に吹かれて来たばかりでなく、漸《ようや》くのことであの東京浅草の小楼から起して来た身《からだ》をこうした外国の生活の試みの下に置いた。実際、眼に見えない不可抗な力にでも押出されるようにして故国から離れて来たことを考えると、彼はこれから先どうなってしまうかという風に自分で自分の旅の身を怪んだ。
節子から来た手紙は旅にある岸本の心を責めずには置かなかった。偶然にも岸本の下宿の前に産科病院があって、四十いくつかあるその建築物《たてもの》の窓の一つ一つには子供が生れたり生れかけたりしているということは、何かのしるしのように彼の眼に映った。その石の門は彼の部屋の窓からも見え、その石の塀《へい》は毎日彼が語学の稽古《けいこ》に通う道の側にあたっていた。その多くの窓は町中で一番遅くまで夜も燈火《あかり》が射《さ》していて、毎晩のように物を言った。
「知らない人の中へ行こう」
と岸本はつぶやいた。その中へ行って恥かしい自分を隠すことは、この旅を思い立つ時からの彼の心であった。
五十七
セエヌの河蒸汽に乗るために岸本はシャトレエの石橋の畔《たもと》に出た。何処《どこ》へ行くにも彼はベデカの案内記を手放すことの出来ない程ではあったが、しかし全く自分|独《ひと》りで、巴里へ来て初めて知合になった仏蘭西人の家を訪《たず》ねようとした。
岸本は最早旅人であるばかりでなく同時に異人であった。あの島国の方に引込んで海の魚が鹹水《しおみず》の中でも泳いでいれば可《い》いような無意識な気楽さをもって東京の町を歩いていた時に比べると、稀《まれ》に外国の方から来た毛色の違った旅人を見て「異人が通る」と思った彼自身の位置は丁度|顛倒《てんとう》してしまった。否《いや》でも応でも彼は自分の髪の毛色の違い、皮膚の色の違い、顔の輪廓《りんかく》の違い、眸《ひとみ》の色の違いを意識しない訳に行かなかった。逢《あ》う人|毎《ごと》にジロジロ彼の顔を
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